日本臨床睡眠医学会
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第4回 睡眠医学はどこの科のもの?〜歴史、 お金、臓器、もしくは未来〜

2015 年 4 月 14 日

           


スタンフォード大学 睡眠医学センター
                河合 真

大変遅くなりましたが 今年も引き続きスタンフォード便りのご愛読をお願いします。

拙著「極論で語る神経内科」も引き続きご愛顧願います。

さて、2015年 初回のトピックとしてはかなり難しい話題にしてしまったが、実はこの問題は常に私の意識に昇ってきては、結論をつけることなく保留され続けられているトピックである。また、これはなかなかコンセンサスを得難いトピックで、普段大体の意見が合う友人達ともうまく合意に至らない。

これは、睡眠に関わっている皆さんも無関係ではない。これは「 あなたの上司が誰なのか?」ということになるわけで、その病院、施設における政治力と密接な関わりが生じる。 睡眠医学はシャロン・キーナン先生曰く「常にどこかの科の養子」であってきたが、それは皆さんの病院、大学でも同じで、政治的な駆け引きの歴史があって現在の所属になっているはずである。私が経験した中でも、神経内科、 精神科、呼吸器内科に所属していた。その中でも内科、とくにCPAPを処方する関係で呼吸器内科に所属している場合は多い。また、昨今では在宅呼吸器の会社主導で大学に寄付講座ができて、循環器科や耳鼻咽喉科に所属しているような形態をよくみかける。

どこの科に所蔵していてもまさしく一長一短がある。例えば、私の専門である神経内科に所属していれば、脳波の関係からPSGに対する理解は非常に深くなる。しかし、逆にOSAS に関する呼吸生理や、口腔、咽頭は軽視する傾向になる。呼吸器内科だと逆に正常脳波ならまだしも、てんかんやらパラソムニアは勘弁して欲しいということが多い。

私が現在所属しているスタンフォード大学では歴史上睡眠医学が精神科に所属してきた。精神科も神経内科もそれほど変わらないと思う人もいるかもしれないが、神経内科とはかなりの違いがある。睡眠のことをやっているだけならいいのだが、共同研究をしようとしてデータベースを共有しようものなら全くなじみのない神経心理テストが山のように現れる。それでも 最近のトレーニングを受けた精神科医達とならば議論がしやすいのだが、心理分析出身の 臨床心理士達と議論をしていると大変である。「こいつ心理テスト全然わかってないな」と馬鹿にされる。何しろいろいろとお作法が違う。たとえば「intake」という言葉がある。initial intakeとかsleep intakeという使い方をするが、語感だけを頼りにしてもなんのことだかさっぱりわからない。「(最初の)面接による情報収集」ということを意味しているのだが、内科や神経内科では全く存在しないし、使ったこともない。内科ならhistory and physicalとかhistory takingとかinterviewとかになる。

10年ほど前にアメリカでレジデントを始めた頃ならば知らないことばかりだったのでどうということもなかったが、40代になるとなかなかストレスが高い。「新しいものを受け入れるときの抵抗感」に加齢現象を感じるのである。しかしながら、自分を新しいものに晒し続ければこの抵抗感が少なくなるだろうし、その結果常に新しいものを探し続ける老人になりたいと思うわけである。

話をもとに戻そう。睡眠医学をするために自分の本来の専門とちがう科に所属して苦労している方は読者にも多いのではないだろうか。では、どこの科に属するのがいいのだろうか?例えば、私にとって都合がいいのは「神経内科」に所属していることであるが、それはすべての人にとっては決してそうではない。

一般的にある医学の分野が所属する科を決める場合に何通りかの決定方法がある。一つには「歴史」を判断基準にすることである。これは最もよくあるパターンではないかと思う。「PSGが脳波から派生した歴史があるから」「うちの病院では数年前に赴任してきて睡眠医学を始めた医師が呼吸器科だったという歴史があるから」というパターンである。その施設にとってはもっとも受け入れやすいパターンだと思うし、このパターンから抜け出すことは容易ではない。

この「歴史パターン」を突き崩すのは「お金」のパターンである。「◯◯科が睡眠関連の稼ぎを出しているから」「◯◯科に寄付金が入るから」というスタイルである。長所としては経済原理に則っているので事務方は納得させやすい 。短所としてはCOI(conflict of interest:利益相反)を気にする医師にとっては非常に難しい判断をせまられる可能性があるということである。「医師は患者の利益を第一に考えるべし」という医師としての存在意義と自分の給料を出してくれるスポンサーの利益が一致しなかったらどうするのか?極端な話ではあるが、「スポンサーの会社が倒産して社員が路頭に迷うようなことになっても患者さんの利益を守る為にデータを発表する」覚悟があるのかということである。最近の米国の新薬の治験では「企業にとって不都合なデータ」であっても発表をさせるために治験そのものをあらかじめウェブサイトに登録して、進捗状況をチェックできて必ず発表させるような仕組みができている。このようなシステムがないところで自分の医師としての良心を試されるようなことがありうるのがこのスタイルである。また、このスタイルは「お金の切れ目が縁の切れ目」で「お金」が無くなってしまうと存在の根拠を一挙に失うことになる。

では、 臓器別分類ならばどうだろう?もちろん 睡眠が脳の現象であるならば脳を診る科が睡眠医学をやらねばならないという論法になるが、肝心の脳を診る科に相当する神経内科や精神科が睡眠医学のトレーニングを受けていない場合はお手上げになる。

このようにいろいろなスタイルがある 。が、ここで考えて欲しいのはこれらの決定方法は「どうすれば一番楽か?」という決め方なのであって「どうすれば理想的か?」という決め方ではないということである。「人生なんて妥協の連続さ!」というのは簡単だが、自分が愛するものくらい理想を語るべきではないだろうか。そうすれば「進むべき方向」がみえてくる。

結論から言うと 睡眠医学は独立した科として存在すべきだと思う。これははっきりいって理想である。が、睡眠医学が独立していたらこんなに素敵なことはない。なぜなら、その形態こそが「多分野集学的」である睡眠医学の特性を遺憾なく発揮できるスタイルだと思う。いろんな科からのコンサルトを診ることで共同研究が進むだろうし、病院や大学での存在感も増えるだろう。それこそが睡眠医学が発展してきた理由に他ならない。ただし、これにはいろいろな科の睡眠を網羅できる睡眠専門医が必要で、その育成が進んでいない状況では困難であることは明らかである。

しかし、「いやいや、無理だろう」という前に他の科を見回して欲しい。「感染症科」はどうだろう?「腫瘍科」や「緩和ケア科」は?ひと昔前には存在すらしなかった科達である。これらは粘り強く関わる人たちが力を合わせれば多分野集学的な科が独立できるよい例だと思う。他の科から「睡眠医学科があってよかった」「いやあ、なんでうちの大学、病院には睡眠医学科がないのだ?」という声が聞こえてくる時代を5-10年後で迎えたいものだと思う。そして、実は睡眠医学科を独立させようというのは米国における睡眠専門医達の悲願でもあり、かなり多くの人間が実現に奔走している。おそらく数年後に実現する可能性が高いと思う。

自分がなぜか一般内科を人よりも長く研修して、神経内科をやって、てんかんをやって、CGに鼻と口腔の診察を学ばされ、今なぜか精神科に所属しているのはいつかくる「睡眠医学独立の日」のためではないかと(心の調子がいいときは)思うのである。

昔の睡眠医学の論文を読む人にはわかるかと思うが、スタンフォードの初期の睡眠関連の論文には精神科のあるここの住所が載っている。今、睡眠医学は別の場所に別れてしまったが、スタンフォードから発信された睡眠関連の論文を読む度に「どんなところかなあ?いってみたいなあ」と思っていた。それが実現することもあるので人生は面白い。

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