日本臨床睡眠医学会
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第14回 我々が守るべきもの、そして睡眠医学第一世代が残してくれたもの

2020 年 8 月 26 日

           


スタンフォード大学 睡眠医学センター
                河合 真



睡眠医学は未だに診療科としてしっかりと確立されたものではない場合が多いし、睡眠医学を専門にしても地位が安定していないことも多く不安に感じることも多い。例えば、医師の場合は、脳神経内科、呼吸器内科、精神科に所属しながらその中のさらなる専門分野として睡眠医学を実践していることがほとんどだ。睡眠医学発祥の地である私の所属しているスタンフォード大学でも睡眠医学は精神科に属する睡眠医学部門(Division of Sleep Medicine)であって睡眠医学科(Department of Sleep Medicine)ではない。睡眠検査技師も睡眠検査だけを行なっている場合と脳波など「他の検査業務」をしながら「睡眠検査も」している場合は珍しくない。よく言えば多分野多職種集学的であるとも言えるし、悪く言えば「不安定」とも言える。そんなもともと少々不安定な睡眠医学であるが、それをさらに揺るがす様な事態が最近立て続けに生じて不安に駆られている人も多い(自分も含めて)のではないかと思う。一つには世界のレベルでは睡眠医学の創成期に多大な貢献をした第一世代の巨人達が相次いで亡くなっていることで、もう一つは日本におけるモディオダール処方登録制という降って湧いた様な混乱である。この二つは別々の様な事柄でありながら、私の中では連続性がある。


まず、第一世代のレジェンド達が相次いで亡くなっていることだが、彼らの業績を享受しながら我々は日々睡眠医学に携わっている。本当に感謝してもしきれない。何しろ一つ一つ感謝し始めたら「OSASが、、」なんて会話をするたびにCG(なぜDr. Christian GuilleminaultをCGと呼び捨てにするかは 【スタンフォード便り第2回】 を参照)に感謝しなければならないし、「レム睡眠とノンレム睡眠が、、、」なんていうたびにDr. William Dementに感謝し、REM sleep behavior disorderを診断するたびにDr. Mark Mahowaldに感謝しなければならないので我々は感謝で一日が終わってしまう。そんなことをしていたら仕事にならない。そして、彼らもそんなに感謝してほしいと思ってはいないのではないかと思う。というのは彼らの業績は長年の批判的な吟味に耐えたからこそ偉大なのであって、我々はただ単に感謝するものではなく、あくまでも人類の健康増進のために批判的吟味を続けねばならない。その上に新たな発見を重ね、進歩させてこそあの世で議論しようと待ち構えている彼らと胸を張って対峙できるのだと思っている。彼らがいなくても業績は無くならないのだからそれを悲しむ必要なない。


しかしながら、彼らがいなくなったことで失ったものがある。それを、最近ひしひしと感じている。彼らと関わることで我々は「睡眠医学に携わる情熱」であったり「睡眠医学をキャリアにしてもいいのだという安心感」であったり「睡眠医学を次世代に伝えるという使命感」であったり「睡眠医学が攻撃されたら反撃するファイティングスピリット」であったりを享受していた。それをまとめて我々は「睡眠愛」と呼んでいるが、まさしく彼らこそは睡眠愛を体現する存在であった。それを確認できる手段を失ってしまってどうにもこうにも「不安」なのである。


そんな中、降って湧いた様に日本でモディオダール処方登録制という一体誰を守るための制度かわからないものが始まるというニュースが駆け巡った。治験の際に特発性過眠症の診断に問題があったから適応拡大の条件として専門施設でないと処方できないという規制をかけるなどという情報が回っているが、最大の問題点は「患者のためにならない」ことで、さして濫用も問題にもなっていない薬剤(これがリタリンの問題と大きな違い)なので「国民も守っていない」ということだ。詳しくは http://www.ismsj.org/modiodal/page/ をみてもらいたい。正しい状況を知り、意見を述べることが求められている。実はこれこそが第一世代達がやってきてくれていたことだ。彼らの庇護の元、我々は日和見で意見をはっきり言わずになんとなく過ごすことが許されていた。そしてその役割が自分達の世代に回ってきた。彼らが戦ってくれるからこそ、別に我々が何かを積極的にしなくても正しい方向に分野が進んできたのだ。そう考えると色々と思い当たる節がある。例えば2007年のAASMスコアリングルールが導入された時の厳しすぎるOSASの診断基準が数年で変更されたが、それには黙っていなかったレジェンド達の反撃があったことを忘れてはならない (Sleep Breath 2009 13:341-347)(Current opinion in pulmonary medicine, 2009, 15.6: 540-549)


例えば、モディダール処方登録制などという規制に彼らが直面したらどんな反応を見せるか想像すればいい。私には「そんな誰のためにもならない規制など馬鹿げている。」と言っている彼らの呆れている様子がありありと目に浮かぶ。そして我々がもしも戦わないとするならきっと軽蔑の眼差しを向けてくるに違いない。我々が戦うだけでなく、次世代に戦う姿勢を見せる番が回ってきているのだ。
よく、ISMSJでは「睡眠医学の面白さ」を睡眠愛と共に伝えなければならないと言っている。「他人の睡眠を観察し、介入する」という睡眠医学ならではの面白さを伝えてほしいと思っているし、それが第一世代のレジェンド達から直接間接を問わず睡眠医学に誘われた我々の役目だ。今回はそれに加えて「睡眠関連疾患の患者のために戦う」ということを心に刻んでほしい。


COVID-19 のパンデミックによってビデオ診療、ビデオ学会、テレワークが盛んになったが、ご承知の通り2020年のISMSJの年次学術集会は2021年に「延期」になった。もちろん簡単になされた決断ではないが、この学術集会の組織委員会では「この学会はなんかリモートにそぐわないよね。」という意見が大勢を占めた。私も「アメリカからビデオ会議でも参加できますよ。」と言いつつ「なんか違うなあ。」と考えていた。確かにリモートの学術集会参加は便利なのだが、それでは睡眠愛が伝わらない気がするのだ。「時間をかけて」「手間暇かけて」伝えないと伝わらないものがあるという共通認識があることが嬉しかった。そう、私はCGが肩越しにモニターを眺めてごちゃごちゃ言ってくるという経験を皆に伝えたいのだ。
例えば
(私)「えー、これ入眠ですかね?」、
(CG)「まだ入眠じゃない」、
(私)「いやアルファ消えましたよ?」、
(CG)「いや、中心部のシータの出現がまだだ」、
(私)「へ?AASMのスコアリングマニュアルにはそう書いてますが?」、
(CG)「あれはおかしい」、
(私)「、、、(マジか)」
という経験を次世代に伝えたいのだ。そのためにはやはりリモートではもの足りない。この学会ではいい年こいた我々が「睡眠愛」という言葉をよく使う。気持ち悪いかもしれないが、ここでいう愛とは「時間」と言い換えてもいい。第一世代の彼らは時間を割いて我々を教えてくれた。時間と体調が許す限り世界中の学会にでかけていって「睡眠医学」を伝えてくれた。


今回の連続した出来事で「次世代に睡眠医学を伝える」という行為には、次世代の教育ということだけではなく、血を流し戦うことが求められることがあることを図らずも自覚させられることになった。
実はそれこそ第一世代が我々に残してくれたものだ。きっと彼らは「(患者を守るために)戦え」「(睡眠医学を守るために)耐えろ」と言ってくれるだろう( 【スタンフォード便り第3回】 参照)。





CGを偲ぶ会の会場入り口:「お前はCGにどんな目にあわされた?」「CGにはこんな目にあわされたよ。」とみんなが笑いながら語り合って盛り上がる会になった。CGに湿っぽいお別れは似合わない。



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