日本臨床睡眠医学会
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第7回 その指導教官はなぜ怒ったのか?

2016 年 10 月 17 日

           


スタンフォード大学 睡眠医学センター
                河合 真

まず宣伝で申し訳ないのだが、拙著「極論で語る睡眠医学」が丸善出版から9月末に出版された。

すべてのことは語りつくせなかったし、まだまだ足りないところも多いが何としてでも愛する睡眠医学の面白さ、哲学を語りたい一心で書いた。
神経内科編の時は燃え尽きた感が強かったが、今回は「まだまだ言わせろ!」という気持ちでいる。
神経内科編の時にどのレビューも「あつい」と書かれていて心外だったのだが、読み返してみると確かに熱く語っていた。
自分はもう少しクールな人間だと思っていたのだが、実は私は「ムキになりやすい」「危ない」奴なのかもしれない。
神経内科編でそれだけムキになるのだから、睡眠医学編がクールなまま書き進められるわけもなくまたしてもやらかしてしまっている。
今回も前回に増して熱い、暑苦しい内容である。しかし、何事にもフラストレーションというものが大きなエネルギーになるものだということを改めて思い知らされた。

というわけでこのエッセイを読んでしまったあなたには是非とも手にとって読んでもらいたい。

さらに、本屋に行くのが好きな方は「極論で語る」シリーズのラインアップに他のメジャー科がまだ出版されていないのにもかかわらず、なぜか睡眠医学が並んでいる不思議な痛快さを楽しんでもらいたい。

実は私はそれが楽しみでならない。

この本にも書いているのだが、ターゲット読者層は患者に接触するすべての医療関係者である。
一般の人たちも含めれば言えばいいと思うかもしれないが、決してそうではない。
「自分の睡眠をよくしてライバルを出し抜く」「自分の睡眠をよくして健康になりたい」人は対象外になる。
なぜならこの本は所謂「快眠本」ではなく「快眠の方法」は全く書いていないからである。
あくまでも「患者の睡眠」「他人の睡眠」「人類の睡眠」に興味のある人達が対象である。前回にも書いたがこの違いは非常に大きい。

さて、宣伝はこれくらいにして本題を始めたい。

最近ではいろいろな人がいろいろな立場からアメリカの情報を発信しているので日本にいる人たちにとってもあまり驚くようなことはかなり減ってきているのではないかと思う。
しかしアメリカは依然として「別の国」であり「別の文化」がある。医療界でも日本では「まず絶対に起こらない」ことが結構起きる。

その原因は「組織の秩序を優先するか?」「個人の都合を優先するか?」の二択において日本ではまず間違いなく前者が優先され、アメリカではほぼ後者が優先されるからである。
昨今日本でも「個人主義」になってきているというが、私に言わせれば全くもって甘いと言わざるを得ない。今年の前半にある意味「日本では起きない」ことを経験した。

まず、睡眠医学分野で高名な(本当に世界的な有名な)ある米国人医師(深くは詮索しないでほしい)がグランドラウンドの講演をするということでスタンフォードにやってくるというお知らせメールが回ってきた。当然前日には会食する機会が設けられた。お決まりのメーリングリストで「Dr. ○○が来られます。ディナー出席の人は秘書の◯◯までその旨を伝えるように」というお知らせが回ってきた。

ディナーだったのでちょっと抵抗はあったのだが、ネットワーク虎の穴の成果でかなり閾値が下がってきている上に個人的にもよく知っている人だったので「出る出る!」と秘書さんに伝えたところ「あらっ、意外ね」という反応だった。私も「ん?なんだ? Dr. ○○なのだから当然スタンフォードからも皆がこぞって出席するのだろ?」と思いきやみんなが言い訳を言って欠席すること甚だしい。

言い訳にしても「出張が、、、」くらいならわかるのだが、「いや、子供のパーティーが」「いや、家族とディナーの先約が」などととても許されるような言い訳とも言えないような言い訳を言って全然参加しないことが判明した。はっきり言ってゲストスピーカーの歓迎会に医局員が参加しないなんて日本では絶対にありえないことだが、アメリカではこういうことが結構ある。
「家族の予定が云々、、」が伝家の宝刀クラスの言い訳になる。
アメリカではこの家族の言い訳を認めないと上司としても「離婚の原因になった!賠償しろ」なんて話になるので強制するわけにもいかない。
「おいおい、大丈夫か?」と思っていたらスタンフォードからは私を含め2名の出席になるとのことだった。

そして、そのゲストの合計3名で濃密なディナーになるという。実をいうともう一人のスタンフォードからの参加者はチェアマンのDr. Mignotだったので「功なり名を遂げた人(ゲスト)」「功なり名を遂げた人(Dr. Mignot)」「まだなにも成し遂げていない人(私)」というおかしな図式のディナーになった。

そしてディナーに行ったわけだが、ゲストもDr. Mignotも私も全員知り合いなのでリラックスしたディナーで私も結構楽しめた。
その中でワインも進みいろいろと愚痴が出てきた。その中でそのゲストが「最近めっちゃむかついたことがあってん!」と始めた。
「フェローの女の子がいるのだけど、彼女が書いた論文を私が必死で指導して、ある雑誌に提出することになっていざ提出するときになんて言ったと思う?」「Dr.◯◯、あなたを私の論文の2nd authorに招待します。なんてメールしてきた。」「そんなこというものだからむかついて、共同著者になるけど、last authorになります!って返してやった」「そしたらなんて言ったと思う?Dr.◯◯、ご立腹のように見受けますね」って言ってきたから「はい、腹を立てています。
私のprimary mentorとしての立場と費やした時間を考えるとlast author以外ありえません。って言ってやった。」「むかつくやろ?」と聞いてきたので「それはむかつきますね。」と、返した。

ここで少し背景として米国でのアカデミアの事情を説明しなくてはならない。なぜなら、以上のような会話は確かに「非礼」なのだが、「アメリカの状況なら生じてもおかしくない」のである。

まず、第一に大学の医局制度というものの拘束力がゼロに近い。

例えば私は現在スタンフォード大学に所属しているが、それは「フェローシップをする」「睡眠医学研究をする」というこちらの事情というか希望があって「大学と契約」(一定期間こういう職位で勤務するという契約書にサインしている)しているから所属しているのである。
ここによく登場するCGことギルミノー先生はこの組織の中にいて、世界的に高名で、私は(ちょっと困った人だが)個人的には尊敬しているのだが、私を直接指導していないし、彼の研究費も使っていないので私の論文に名前が載ることはない。必然的に自分の直接的な指導教官やコラボしている研究者との間にヒエラルキーのようなものを感じる機会もほとんどなく、あくまでも「指導する人」「指導される人」「コラボする人」などの1対1の関係である。だから、CGと議論するときは対等な立場から議論が始まるので相手も必死で言い負かそうとしてくるし、こちらも最大限の抵抗をする。議論では「教授のいうことを聞け!」なんてこと言っても通用しない。だからCGは論文をフルに引用してくる。そして知識の量が半端ではないので強いのである。

さらに補足するとスタフォードでフェローシップをしたからと言ってスタンフォードのチェアパーソン(主任教授)がいく先々の人事に口を出すようなことは決してない。「トレーニングの契約で1年なり2年なりの期間所属していた」にすぎないので卒業してしまえばみな好きなポジションに散っていく。この際指導教官からの推薦状が進路に大きく影響するのだが、逆に言えば推薦状以外に人事力を発揮することはできないとも言える。

こういう事情があるので、どうしても論文のauthorshipのように医局員を順位付けするときに迷うことになる。
本来は論文への貢献度でauthorshipというのは決定されるのだが、多少の医局内順位も関係してくる。というかアメリカの場合どの程度の「お金」と「時間」を投下したかを考慮せねばならないのだが、それがはっきりとわかりにくいケースもあって上記のようなことが生じる。例えばその論文執筆者のメンターが前述の指導教官であってもそういう高名な教授は出張がやたら多く直接指導を受ける機会がかなりすくないことが多い。大部分はメールでやりとりして、論文の推敲をうけるくらいが実感される「直接指導」である。中間に入って指導をしてくれる人がいる場合、そちらの人に指導をうける時間の方が多い。しかしながら、その指導教官は研究費を取ってきてラボの人員を雇い、 まさに「身銭を切って」そのフェローを指導しているという背景がある。

だからこの指導教官は「私がlast authorだ!」と言っているのである。決して「私が主任教授だから」とか「私が世界的に高名だから」という理由ではないことを知ってもらいたい。
アメリカでは個人主義が徹底されてアカデミアの秩序を先輩が教えてくれることがない。先輩はすぐに(2−3年で)えらくなってしまって独立してしまうのである。
日本ならば主任教授をlast authorにしないなんて「背筋も凍るような」事態であるし、先輩から「あほか?」とたしなめられて闇から闇へ葬られ誰かの耳目にあがることすらないだろうが、アメリカではたまにこういうことがある。
しかも、それを叱責されて「すみません」と言わずに「ご立腹のように見受けますね (look like you are upset)」などという文言を返すのも恐ろしい話であるが、実は結構言われる(もしくは言われている人を見かける)。
「Look like you are upset」いう言い方は「あなたは怒っているようですね。」=「怒ったあなたが悪い、私は悪くない(ただ見ているだけ)。」=「怒ってもいいのよ。
その怒りがすぎるのを待ちましょう」というニュアンスがこめられており、心理士が激昂している患者相手に(自分の非を認めないで)なだめたり、諌めるときによく使う「完全に上から目線」で「傍観者」的な言い方である。

案の定その問題のフェローは心理学出身のポスドクらしい。私も今の所属先の精神科で怒って文句をいうとこの反撃を食らうことが結構多いのでその「なんとも怒りのやり場がない」感覚はよくわかる。本当に「むかつくやろ?」と第三者にいうしかなくなるのだ。おそらく心理士の彼らにしてみたら意識していないがちょっとした職業病とでもいうべきものなのだと思う。
日本の大学からの論文を時々みると、やたら著者がずらずらと並んでいて「ほんまになんか貢献した?」と思うようなことも多いが、「組織の秩序が優先されているのだろうな」とは思う。

私はアメリカで働くことに慣れてしまって個人主義が基本的には心地いいのだが、たまに「おいおい、組織の秩序というものもちょっとは考えろよ」と思うことがある。
「昔の日本の医局の秩序」がちょっと懐かしくなったディナーだった。

フェローシップの同期たちの来し方行く末:本当にバラバラなので学会で集合すると同窓会がある。
(スタンフォード睡眠医学センターの定番の写真撮影スポットにてDr. Dementと共に)
【左1人目】河合:日本→ニューヨーク→ヒューストン→スタンフォード→さらにスタンフォードで貧乏なリサーチフェロー
【左2人目】アナヒド:シカゴ→スタンフォード→ベイエリア周辺で開業
【左3人目】マシュー: ミネソタ→スタンフォード→ミネソタ大学病院睡眠医学の指導医
Dr. Dement御大
【右3人目】 ジェイソン:カナダ→スタンフォード→どこかで運動異常症のフェローシップ→カナダの大学付属病院で指導医
【右2人目】ネビン:南部カリフォルニア→スタンフォード→ロスアンゼルス周辺で開業
【右1人目】マック:軍隊の耳鼻科出身→スタンフォード→ハワイ軍病院で勤務




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