日本臨床睡眠医学会
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第6回 君は「ぱちもん」を見抜けるか?

2016 年 3 月 21 日

           


スタンフォード大学 睡眠医学センター
                河合 真

皆はテクノロジーが好きだろうか?私は好きだ。若いときは電気街で買う予定もないウォークマンやステレオのカタログを 集めるのが好きだった。もちろん最近はそういうこともしなくなった。きっと、流行を追うのが億劫になる年齢になったこともある。でも基本的にはテクノロジー好きである。

また、テクノロジーが重要であることには異論はない。テクノロジーの発展がなければ睡眠医学の発展もない。PSGなんてテクノロジーの塊である。では、新たなテクノロジーはどうやって生まれるのだろう?テクノロジーを生み出す側は「あの問題を解決するためにこのテクノロジーを生み出す」という崇高な動機でいつも生み出しているわけではない。だいたいは昔からある技術の改良を重ねていったら「何かできてしまった」「さあ、何の役に立つかを考えよう」という存在理由の前にテクノロジーが生まれてしまうことも多い。その生まれてしまったテクノロジーを企業がプレゼンし、何か 健康のために役に立たないか考える機会もスタンフォードにいると多い。新たなテクノロジーは生活を便利にしてくれるが、その反面人類はその新たなテクノロジーとの付き合い方を学ぶ必要も生まれる。単純に言ってしまうと新たなテクノロジーも薬と同じで作用と副作用がある。例えば電灯が発明されたのは人類にとって夜間に活動ができる時間を増やしたという大きな恩恵を与えたが、同時に副作用として睡眠相を後退させた。普及前には想像もできなかった問題があとから指摘されることもある。最近流行りの高精細のディスプレイは「スマホやタブレットに綺麗な画像を映し出すディスプレイがつけばみんな喜ぶにちがいない」と思って生み出されたわけだが、「青色LEDがメラトニンの分泌を特に抑えるのでスマホやタブレットの夜間使用は控えた方がよい。」なんてことを数年後にいわれて、青色を抑えるメガネやフィルターが売られるなんてことは想像もできなかった。これはさらなる需要を掘り起こしているので経済的にはよいのかもしれないが、人類に新たな環境への適応を強いていることにはかわりない。

さらに、 なんとなく嫌な感じはするが、具体的には何が副作用なのか分かり難いものもある。昨今スマホのアプリだとか、ブレスレット型のデバイスなどで「睡眠の質」なるものを測定するソフトやハードが盛んに売り出されている。これが今回の本題である。これもまさに「新たなテクノロジー」である。これは、それほどすごい技術革新ではないし、我々が臨床で用いるアクチグラフと特に変わらない。おしゃれなデザインになっているので着けていると「おっ、着けているね」と言ってもらえることも流行している要素の一つになっていると思う。 結構着けている人が多いし、アメリカでは宣伝も良く見かける。一種の健康ブームの一つなのだろう。

さて、睡眠医学を専門とする私がそういうブームをみて「ああ、多くの人が睡眠に興味をもってくれている。」だから「嬉しい」と思うかというと決してそうではない。なぜか「全然嬉しくない」のである。もちろん医師や医療従事者の人たちから「睡眠に興味があります」と言われると「同志よ!」という単純に嬉しい感情がわく。

しかし、この睡眠デバイスブームは全然嬉しくないのである。自分でも不思議でよくわからなかったので長女(4歳、最近聞き分けてきて可愛い)と公園を散歩しながら考えてみた。その理由はいろいろ考えられたのだが、この睡眠デバイスブームに乗っている人たちの興味の対象が「自分の睡眠」であり、我々睡眠専門医の興味は「人類全体の睡眠」という差があってこの差が結構大きいのではないかという結論に至った。

「自分の睡眠」に興味をもつということは多くの場合「自分の睡眠に問題がある」と思っているからであり、こういう興味のもち方をしている人が増えることは患者が増えていることを意味する。我々医師にとって患者の数がもともと多いのは「やりがいがある」と感じるのだが、 患者の数は(できれば自分が治療することで)減っていって欲しいと願っているのである。睡眠デバイスが流行することはどんどん患者が増えている、もしくは悪化していることを意味するので嬉しくないのである。患者を新たに生み出し、それを治療するマッチポンプ状態になっているのが嫌なのである。

「自分の睡眠に興味ある人たち」の多くに不眠がある。不眠には過覚醒が必ず関わっている。そして、「眠ろうと努力すればするほど眠れなくなる」という睡眠努力の上昇がある。睡眠の不思議なところだが、睡眠努力が上がれば上がるほど覚醒してしまう。なので、眠ろうとする努力をやめることが不眠治療において非常に大切なのだが、たいていの不眠の患者はとことん努力をしている。そして、その努力に乗じた「不眠ビジネス」というべきものは多い。 ハーブ、ホワイトサウンド、遮光カーテン、ヨガ、快眠本などありとあらゆることに手を出している患者もいる。時間だけでなくお金も使っている。そして、睡眠努力が上がりきってこれ以上ないくらいの過覚醒になっている。

睡眠のモニターデバイスもこれと同じような副作用があり、本人が気づかなかった睡眠の問題を掘り起こしてしまうという点でより問題があると思う。

例えば、こういう睡眠デバイスで「睡眠の質が低いです」という結果がでた時にどうなるか想像してほしい。まずは、「よし、睡眠の質を頑張って改善しよう」という行動につながる。上で説明したように、これが不眠にとって非常に良くない。

本来睡眠とは「自然に生じるもの」であって「頑張って努力で入り込むもの」ではない。 例えば、クラブと塾で忙しい十代の学生がクタクタになって自宅に帰ってきて風呂入ってベッドにバタンキューとなることを考えて欲しい。彼らの素晴らしい睡眠は決して努力の結果ではない。必要だから「生じている」のである。ここで努力やモニターの介入する余地はない。ここからわかるように毎日熟睡できる人は努力やモニターよって熟睡できているのではない。巷には「頑張って睡眠をとろう!」という宣伝が多くある。「睡眠時間を確保すること」は大切だが、「頑張って睡眠をとる」ことや「自分の睡眠をモニターする」こととは根本的に違うことを理解してほしい。「睡眠に興味のない人は睡眠に問題がない人」とは不眠に関しては真理である。睡眠医学において患者が自分の睡眠に興味ないのは大変結構なことなのである。

さらに、私がこのデバイスを決定的に嫌う機会が2014年8月24日にあった。この日にワインの生産地のNapa valleyを中心にした地震があった。私の住んでいるベイエリアも少し揺れた。犠牲と被害があったわけだからそれに乗じるようなビジネスはするべきではないというのが地震国に生まれた私たちの常識だと思うが、この時睡眠デバイスの会社が「この地震のあった午前3時20分に◯◯%の人が覚醒し、そのうち◯◯%の人はその後眠りにつけなかった」などというトンデモデータを発表した(https://jawbone.com/blog/napa-earthquake-effect-on-sleep/)。まず、地震があって人が覚醒したらどうだと言うのだろう?そして、不安に思って再び眠りにつけなかった人がいたことを知ったからといってなんだと言うのだろうか?

つまりこのデータには全く利用価値がない上に、「ああ、そうやって日々利用者のデータを集めているのね」「そしてその利用価値もわからないデータをよく考えもせず公表するくらいの企業モラルしかもちあわせていない」ということを示したのである。しかしながら、こういう企業は別に医療機器ではないので特に問題がないと思っているらしい。あくまでも健康増進のための機器だといって逃げるのだろう。

もちろんこれらのデバイスもうまく利用すれば、アイデア次第では医療費抑制に繋がったりするかもしれないので一概に悪と決めつけてしまうのはよくない。ただ、どうも気にくわないのである。あえて言おう。この睡眠モニターデバイスは医療機器としては「ぱちもん」(近畿地方の方言でニセモノという意味)であると。(本当に医療機器ではないので疑問の余地はない。)

睡眠という分野はとかく医療機器と健康増進器具との境界が曖昧になりがちである。医療従事者にとってもどの専門分野の患者も眠るので参入しやすいという側面もある。これはよく言えば睡眠医学の多分野集学的な側面ともいえるし、悪く言えば「ぱちもん」のテクノロジーも業者も医療従事者もはびこりやすい土壌といえる。

会社というものの最終目標は会社が儲かり従業員を養うことだと思うしそれが存在価値だと思う。しかしながら、 「医学」「医療」に参入するには「会社が潰れても患者の不利益なことをしない」ことが必要になる。二律背反していると思うし医療機器会社がすべてそのような覚悟があるはずがない(ここら辺はアメリカ的性悪説) 。そこで患者の利益を守るために医師や医療従事者が究極の状況で患者の利益を優先する判断を下すことを期待される。時折「治験をめぐり業者と医師が癒着した云々」という医療スキャンダルが報道されるがこの覚悟がもともとなかったか、究極の状況で判断を誤ったのが原因である。 業者と医療従事者との距離が近すぎるとその判断を誤るに違いないというのが以前にも述べたがConflict of Interest (利益相反) の基本である。目の前の会社の人が路頭に迷っても、目の前にはいない患者の利益を優先せねばならないのである。自分がそういう状況に巻き込まれないことを祈るが、おそらく人生に一回くらい訪れるのだろうと思う。

ただし、この判断は覚悟と同時に 知識に基づいた判断が必要である。今回とりあげた睡眠モニターデバイスも睡眠の生理を理解していないとその副作用は見えてこない。 どの分野出身でもよいが「どうやって人(人類)が眠るのか」を一度キチンと学ばねばならない。さもないと「ぱちもん」を見抜くことはできない。

みなさんが睡眠医学のキャリアを始める動機になったものが「自分の睡眠」であったとしても構わない。しかしながら、しばらく経ってその興味の対象が「人類の睡眠」になっていて欲しいと強く願う。「ぱちもん」を見抜いて患者の利益を守るためにはいつまでも「ぱちもん」ではいられないのだ。

何を着けようと個人の自由だが、自分の睡眠への過度の興味は睡眠努力の上昇に繋がる危険性があることを理解するべきだ。



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