日本臨床睡眠医学会
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第5回 睡眠医学とコスト

2010 年 3 月 18 日

           

テキサス州ヒューストン メソジスト病院 
               神経内科神経生理部門 河合 真

 私が2006年まで合計6年間の米国での臨床研修を終えて日本に戻り睡眠医療に携わった時、違和感を感じたことがある。
それは簡易検査(米国で言うところのcardiorespiratory monitoringである)をPSGの前に行わなければいけないという制度である。その根拠は「まずはスクリーニングをして疑わしい場合にのみPSGを行う」という一見理にかなった論理である。

 しかし、この論理には問題がある。まず、簡易検査が「簡易」なのは基本的に「脳波解析をしない」から簡易なのであって、そのなかには様々なグレードがある。酸素飽和度だけを測るもの、呼吸も一緒に図れるものなど様々なグレードがある。が、基本的に脳波解析をしないので「眠っているかどうか」はわからない。

 たとえば、簡易検査を8時間装着していたとしても、実際には4時間しか眠っていなければどうなるだろうか。呼吸イベントが検査中100回あったとすると、実際に眠ったのは4時間なので本来ならばRDIは25になるものが、8時間で割られるのでRDIは12.5になる。脳波が記録されないので「眠っているかどうかわからない」という大きな問題があるのに、なぜ簡易検査というものが存在し続けるのか。それは、当たり前のことだが、「脳波解析をしない」ので「簡易」だからである。

 ではなぜ脳波がないのであろうか。脳波測定にはほかのパラメターとは異なる側面がある。

 まず、単位がマイクロボルトであり、非常に小さくなる。そのためさまざまなアーチファクトが入り込む。また、電極が外れやすいということもある。そういった場合に直す検査技師が必要になる。あと、脳波には異常から正常までさまざまなパターンがあり一朝一夕にはマスターできないという難しさがある。というわけで「省いてしまえ」というのが簡易のアイデアなのである。

 利点としては、脳波解析ができる医師や睡眠検査技師がいなくてもいいことや、機械が小さく持ち運べて自宅で検査ができるので特別な施設を病院につくらなくてもいい、コストが安いなどがある。で、本題だがその簡易検査をして異常と出た人だけにPSGをすることが果たして理にかなっているのかということである。この臨床の質問に答えるには以下のような質問の形に変換する必要がある。

 すなわち、簡易検査で「PSGをせずに済んで」直接CPAP治療(この場合オートCPAPになる)に入ることで節約できるコストが、簡易検査をしたところ、よくわからない結果が出て結局PSGをやらなくてはならなくなり、簡易検査で余計にかかってしまったコストのどちらが多いかということになる。このコスト解析には当然その国の保険行政における簡易検査の値段とPSGの値段が大きくかかわってくる。そして米国では「簡易検査ではコストの削減ができない」という結論になった。簡易検査をすることで余計にかかるコストの方が大きくなったわけである。この結論が出たのが、2005-2006年にかけてなので、それ以降大手を振ってPSGを行えるようになったわけである。日本の場合はどうだったのであろうか。

 おそらく、コスト解析のことはわかった上で、PSGが実施できる施設が少ない現状をすぐには改善できず、簡易検査をある程度認めていかざるをえない状況だったのだと思われる。睡眠時無呼吸症候群をCPAPで治療することをいかに早く浸透させるかということを優先させたわけである。しかし現在ある程度PSGができる環境になってくると、この簡易検査をPSGの前に行うという無駄に見える制度だけが残ったわけである。

普及時期と拡大路線

 睡眠医学を人に紹介するときに、睡眠時無呼吸症候群なしでは語れない。多くの場合「いかにコモンな疾患であるか」を強調するために疫学データをみせ、「いかに無治療で放置することが危険か」を生存曲線のデータをみせて説明する。ある新たな疾患の周知を進める場合によくとられる方法で、あながち間違ってもいない。

 そして、この手法でCPAP治療を浸透させ、多くの分野の医師の参入を促した。その際に多少の簡易検査の矛盾などに目をつぶり拡大路線をとったわけである。米国でも多くの分野の医師の参入を促し、拡大路線であったことは同じである。そして、米国では現在大きな転換期を迎えている。

そして哲学

 で、ここからが大きな問題になってくる。拡大路線を続けた後、「どうするか」という理念があるのかないのかということである。
「臨床」が、かかわる医師と技師の数、マーケットの規模ともに大規模な拡大を遂げた現在、これらを正常な姿にするにはどうすればいいのか。「理想の睡眠医学とはどうあるべきか」という哲学があるのかどうかということである。ここで、重要になってくるのが、「研究」と「教育」とのバランスである。

 そして、これらが発展するためには「臨床」「研究」「教育」の中核になる共通語になるべきものが必要である。睡眠医学の場合それは明らかに、誰がなんと言おうとPSGである。PSGなしでは睡眠という現象は観察できない。なにしろ長い年月をかけて睡眠を定義してきたのは脳波を含むPSGなのである。PSGなしに睡眠を研究することも不可能であれば、睡眠を教育することも不可能である。想像してほしい。「眠っているかどうか」わからないのにどうやって「これは睡眠の現象だ」「いや違う」などと議論ができるであろうか。

 たしかに、簡易検査でも重症の睡眠時無呼吸症候群であればある程度の確率で診断ができ、治療を開始することは可能かもしれない。が、その考えは浅はかである。そうやって、簡易検査がPSGに取って代わるような動きを推進すればするほど、睡眠医学が共通語を失うということを理解しなければならない。

そして「厳しい」睡眠愛

 そう「PSGを大切にしなければならない」のである。PSGを大切にする方法には二通りあると思っている。

 一つはPSGを採算のとれる検査にすることである。現在の睡眠医学はCPAP指導管理料に依存しているが、やはりこれはおかしい。このために「できるだけ検査のコストを抑えてCPAPを処方する」方向にフィードバックがかかるようになっている。PSGで採算がとれるようになれば、PSGのできる睡眠センターも増えていくと考えられ、簡易検査をするかしないかなどというつまらない議論に時間を割かれることもなくなる。

 もう一つはPSGの質の管理である。施設数だけ増えても正しくPSGを実施し、スコアリングができなければ意味がない。残念ながら、「PSGができる」というのは機器を購入して検査技師を雇ってスコアリングをさせていればいい(確かにこれだけでも大変なことではある)というものではない。質の管理は睡眠専門医と技師が馴れ合うことなく批判しあうことでしか管理できない。ここにおいては睡眠を愛すれば故の「厳しさ」が必要になってくる。

 そして、今後睡眠専門医という資格をどう「厳しく」考えるかが非常に睡眠医学の発展に重要になってくる。睡眠専門医とはCPAPを処方する医師のことではない。ここが米国において大きく変化しているところである。実は米国でも最初受験資格を大幅に緩和するなど、非常に「易しい」方針をとった。

 しかし、昨今American Academy of Sleep Medicine(米国睡眠医学会)は「厳しさ」の方に方向転換してきている。いや、もともと青写真が最初からあったようだ。最近は「メディカルディレクター」という資格概念を使って巧みに質のコントロールしようとしている。このことは次回に詳しく述べたいと思う。結論としては睡眠医学に携わるのであれば、睡眠医学を愛さねばならず、睡眠医学を愛するためにはPSGを大切にしなければならないということである。簡易検査のコスト解析なんてつまらないことはやめて、睡眠を語ろう。そして、厳しく睡眠を愛そう。

 ヒューストンでは毎年3月に“RODEO”といって牧畜文化を紹介するイベントが催される。シーズンオフのプロフットボール場とその巨大な駐車場、隣接する見本市すべてが“RODEO”一色に染まる。見物に出かける人たちもカウボーイハットをかぶり、バンダナを巻いて出かける。

RODEOだけでなく、周りには移動遊園地がやってきて、やたらと盛り上がっている。

RODEO関係の店が並び、カウボーイグッズが手に入る。

ターキーの足の照り焼きがあったり、

カウボーイハットを売っていたり、

牛の競り市をやっていたりする。
じゃあ、肝心の暴れ牛に乗ったり、暴れ馬に乗ったりするのはないのか?というと、それは別料金を支払ってプロフットボール会場に入らないといけない。これを見ないでもまずまず楽しいのだが、、、やはりRODEOなのだから、

暴れ馬乗りやら、(生は迫力満点!)

馬から飛び降りて子牛を捕まえる競技(!)を見ないことには「RODEOを見た!」とは言えないわけである。少々強引だが、睡眠も周辺だけをみて満足するのではなく、習得に時間やお金がかかってもコアのPSGを学ばないといけないということと共通点がなきにしもあらずということで載せてみた。