第9回 (恐怖の)アメリカパーティー失敗あるあると睡眠不足



           テキサス州ヒューストン メソジスト病院 
              神経内科神経生理部門 河合 真

 「なんでこんなパーティーにでなきゃいけないんだ?」その日の私は何度も妻に愚痴った。チェアマンが友人である高名な医師に招待講演をさせた後に自宅のパーティーで歓待することは決して珍しいことではない。そしてそれに出席することはこの科のファカルティの一員としては義務に近い。確かにわかっていた。だから何度も愚痴りながらも出席することにしたのだ。ただ、なぜか何もかもが気に入らなかった。金曜日の夜は久しぶりにテニスがしたかったとか、せっかく脱いだスーツをまた着なければいけないとか、アメリカのパーティー特有の時間の読めない感じとか(時間通りにいったら、1時間はカクテルだけで大してよくも知らない人達と愚にもつかない話をしなければならなかったりすること)普段気にもならないことが頭を離れず私をいらつかせた。そして、いつものように1時間遅れでパーティーに行った。チェアマンの自宅はヒューストンには珍しい高層マンションの最上階ペントハウスである。芸術に造詣が深い彼は、自宅に様々なオブジェを飾り、照明で演出し、招待客達の眼を楽しませていた。モノトーンの中にも彼が好きな赤色をうまくアクセントとして配色してあり、センスの良さを感じる。自宅のパーティーといっても、奥さんがオーブンから自慢のチキンの丸焼きを出してくるような牧歌的なホームパーティーではない。料理はすべて隣の高級ホテルからシェフが出張ケータリングで準備し、プロのミュージシャンが音楽を奏でる。そんなパーティーで私は大失態をやらかしてしまったのである。

 まず、小さい失敗ともいえない失敗が重なる。ついおいしそうな肉とデザートの誘惑にまけて席を立ち料理を取りにいってしまった。実はアメリカのパーティーの食事はおいしくないことが多いのとがつがつ食べるとなんとなく格好よくないので、すこし家で食べてから参加することが多く、その日も対して空腹だったわけではなかった。そして、もし、席をたつのであればその席を確保するべくグラスを席においておけばよかった。これは単に面倒くさかったにほかならない。大丈夫だろうと高をくくっていたのもある。

 そして、私が料理をとって戻ってきてみると、そこには招待講演を終えて開放感に浸る高名な医師がワインを片手にご機嫌で私の席に座っていた。「おいおいそこは俺の席だから、どいてくれ!」と思ったが、そんなことを口走るわけにはいかない。仕方なく他の席を探すが、みな腰を落ち着けてしまって、折悪く席が空いていない。

 それなら、あきらめて皿をおけばよかったし、どこかべつのところに座ればよかったのだが、なぜか元の席に執心してしまっていた私はしばらくうろうろして、さらに席をさがした。するとなんとか座れそうなスペースがソファの端にあいているのが見えた。そこに到達するには少し狭い壁際のスペースを歩かなければならなかった。とりあえず座りたい一心の私は、そのスペースに向けて足を進めた。そこに座っていたレジデントが気を効かせてずらしてスペースを空けてくれたのが目に入った。やれやれやっと座れる。と思ったときなにかがコツンと腰にあたった。ふと振り返ると50センチほどのガラスのオブジェが台から倒れていくのがスローモーションのように目に入った。女性の形をしたガラスのオブジェが伸ばした私の手をすり抜け「ガシャン」という世にも恐ろしい音をたてて床に落ちた。女性像の頭と腕の部分が無残にもげている。人格者で知られるチェアマンですら、蒼白になっていたのでおそらく相当高価なものだろう。なんとか「気にするな」と絞りだすように言った彼はやはり人格者だった。そのあとの私はとりあえず平謝りに謝った。全く固定せずにオブジェを飾る神経もいかがなものかと思うが、まあとにかく私が悪い。そのあとのパーティーは最悪の気分で誰と何を話したかもよく覚えていない。ただ、他の招待客の「ああ、気の毒に、私でなくてよかった」という視線がとても辛かったのは鮮明におぼえている。

 なぜこんなことになったのか? 結果としてみてみると「どんくさい(関西弁で“要領の悪い”という意味)マコトがチェアマンのガラス像を壊した」で終わる。が、そこに至るまで普段ならやらない小さな失敗をくりかえした。なぜそんな失敗をしたのか?私にはよく分かっている。私事だが、1か月前に娘が生まれた。極めて正常なことだが2時間毎に起きる。海外で出産してくれる条件として家内と「絶対に育児に協力する」と約束したので、授乳は家内の役目だが、おむつ替えやら、寝かしつけたりは私が担当している。当たり前だが、睡眠不足になる。おそらく2-3時間ほどの睡眠負債を平日積み上げ、週末昼寝することで取り戻している。というわけで金曜日の夜は最高に睡眠負債がたまった状態である。簡単にいえば「睡眠不足」である。

 睡眠不足を経験したことがない人はいないだろうし、睡眠の重要性を認識できるもっとも身近な問題でもある。ただし、身近な問題だが、正確な情報が一般の人に伝わっているとは思えない。特に米国の社会にくらべて日本の社会の睡眠不足に対する認識は低い。単に自分の経験に基づいている認識だが、断言してもいい。それは睡眠の病歴をとっていてもよくわかる。就寝時間、入眠時間、起床時間を聞くのは基本だが、日本の場合深夜12時以前に就寝しているサラリーマンは珍しいと思う。

 米国の場合、まあ遅くとも午後11時までに就寝していることが多い。そして口をそろえて「7-8時間寝ないといけないんだろ?」と聞いてくる。細かいことを言い出すときりはないのだが、9割の人たちにとってはそれでいいので、マスの医学としてはこれでいい。たまにこの知識があまりにも米国社会で広まっているために「どんなに頑張っても6時間しか眠れない。」と言ってまったく眠気もなく絶好調な人が私の睡眠クリニックを受診するのはご愛敬だろう。
話を日本に戻そう。日本で私が診療していた時、私のクリニックを受診する多くのサラリーマンは疲れを訴えていた。睡眠時間は長くても5-6時間であった。当然眠いと思うのだが、不思議と眠気よりも「だるい」「きつい」と倦怠感を訴えた。もちろん睡眠時無呼吸症候群であれば治療はするのだが、明らかに睡眠不足なので「睡眠時間を長くするのが根本治療です。」というと「ああ、なんだ、そんなことか。それは無理だ。」となる。このとき日本社会の睡眠「バカの壁」とでもいうべきものの存在を感じる。

 以下のグラフを見てもらいたい。Van Dongenらが2003年にSleep誌に掲載した慢性睡眠時間制限(chronic sleep restriction)と急性睡眠時間制限(acute sleep restriction)の実験結果である。左はある単純な作業におけるミスの回数。右はアンケートによる自覚的な眠気をグラフにしたものである。X軸で睡眠時間制限を続けた日数を表している。急な曲線ほど極端に睡眠時間を制限している。一番急な線は断眠を表している。睡眠時間制限の程度と比例してミスの回数が増えていくのがよくわかる。そして、面白いのが、右のグラフでは、自覚的な眠気が日数とともにプラトーに達しあまり上昇しなくなることである。断眠では持続日数と比例して自覚的な眠気が強くなるのに、なぜ慢性的な睡眠時間制限ではプラトーに達するのかうまく理由は説明できないが、言われてみれば思い当たる節がある人は多いのではないだろうか。つまり、非常に大切なことは、睡眠不足によるミスは睡眠不足に比例して増加していくが、その作業能率の低下は「眠気」だけでは予測できないということである。「眠気を感じたら休め」ではミスは減らすことはできない。私も経験があるが、医学部生から研修医になって突然睡眠時間が減ったとき「ああ5-6時間睡眠でもなんとか俺って働けるんだ」と思ったが、これは結局眠気がプラトーに達していただけで、慢性睡眠不足でミスの可能性はどんどんふえていっている。睡眠不足を解消するには睡眠をとるしかない。訓練でどうにかなるものでもないし、覚醒を促すような薬を処方するなんてとんでもない。

 労働管理をする側の睡眠の認識もまだまだ足りていないと思う。管理者が従業員の作業のミスを減らしたいと思うのならば、絶対に従業員が十分な睡眠をとれるように環境を整えることを考えなければならない。
医療でも同様である。今回の私の失敗は「ガラス像が壊れる」という悲劇を生んだが、こと医療に関して言うと最悪の場合「死」があり得る。昨今米国では研修医の労働時間管理に非常にうるさいが、これも睡眠医学がこういった研究結果について発言するようになったという状況がかなりからんでいる。

 睡眠医学に携わるものとして最も身近な睡眠の問題である睡眠不足を折りあるごとに周知していきたい。今回は、あまりの自分の失態をなんとかポジティブに変換するセラピーも兼ねているので少々乱暴な文体だがご容赦ねがいたい。

■ 睡眠時間0時間=断眠
○ 睡眠時間4時間
□ 睡眠時間6時間
◇ 睡眠時間8時間

Van Dongen HPA, Maislin G, Mullington JM, Dinges DF.
The cumulative cost of additional wakefulness: dose-response effects on neurobehavioral functions and sleep physiology from chronic sleep restriction and total sleep deprivation. SLEEP 2003;2:117-126.


実際のものとは異なるが、イメージしやすいように載せてみた。これをチェアマンの家のパーティーで破壊したと想像してほしい。

ヒューストン便り
~米国臨床睡眠医学の現場から~

  第1回 Introduction
  第2回「私がなかなか睡眠外来をやらせてもらえない」理由
  第3回 現代医学と睡眠について~生理的であるということ~
  第4回 無知である罪~不眠を甘く見ず、恐れない~
  第5回 睡眠医学とコスト
  第6回 マーケティングと市民講座考
    ~宣伝とそれが招く結果について~

  第7回 ボランティアと寄付とconflict of interest (「利益相反」)
  第8回 「睡眠専門医」って何?~オフィスと専門医と正論~
第9回 (恐怖の)アメリカパーティー失敗あるあると睡眠不足

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第8回 「睡眠専門医」って何?
~オフィスと専門医と正論~



           テキサス州ヒューストン メソジスト病院 
              神経内科神経生理部門 河合 真

 米国の医師のオフィスと日本の医師のオフィスの違いは何か?日本ではまず、個室を与えられることがまれで部長か副院長クラスにならないともらえないことが多い。米国ではアテンディング(トレーニングが修了し開業免許をとった医師で指導することができる)になればどんな下っ端でも個室があてがわれる。私(卒後14年目、平アテンディング、一応アシスタントプロフェッサーの肩書あり)レベルの人間にも当然個室があてがわれている。タコ部屋と異なり、話しかけてくる人がいないので非常に仕事がしやすい。現在のオフィスは狭い方なのだが、眺めがよくて気に入っている。2年前初めてこの部屋をあてがわれてリクライニングできる椅子に腰かけたとき「俺もとうとうここまで、、」という感慨に浸った。これは余談だが、日本語ができる人間が回りにいないことをいいことに、自分の目標とかモットーとかの(少々恥ずかしい)自己啓発系の文言を思いつくまま日本語で紙に書いてオフィスのあちこちに貼っていたところ、昨年施設見学にこられた立花直子先生に見つかってしまい「うわっ、こわいわあ」とのコメントをいただいた。

 さて、米国のオフィスと日本のオフィスの違いは他にもある。留学先などで見られた方も多いかと思うが、米国では専門医資格の免状やら卒業証書やら賞状やら果ては医師免許に至るまで、ところせましと壁に掲げられていることが多い。とても整理が苦手なモージャー先生の部屋ではすべての免状が足元に転がっていて、彼が大好きなTWIXというとても甘いチョコレート菓子が机の上に乗っていたということがあったが、それは例外で、多くの場合きれいな額におさまって掲げられている。驚くことにコピーではなく、オリジナルであり、「盗まれたらどうするのだ?」と思うのだが「盗まれない」そうだ。それをとても信じられない私は、自分の家に飾っている。

 アメリカを代表する「超弩級に甘いお菓子」の一つであるTWIX。頭脳労働者である医師の中には時々とんでもない甘いもの好きがいる。疲れたときに一口食べるとおいしいと思ってしまう私も甘いもの好きである。

 私の上司でもあり、同僚でもあるDr. Amit Verma。彼の部屋には卒業証書から、専門医の免状まで飾ってある。典型的なアメリカの医師のオフィスである。

 かたや、私の部屋は何も飾っていない。かなり非典型的なアメリカのオフィスである。2人ともモニターがやけに立派だが、これは脳波や、PSGをこの部屋で読むからである。一応脳波のガイドラインを厳密に守ると21インチ以上のモニターが必要になる。

 さて、ここからが本題である。専門医資格を一体何のためにとるのか?学会は何のために専門医という資格をつくるのか?この当たり前のようで当たり前でないことを考える機会が私は最近多い。特に睡眠医学のように新興の分野が発展していくには取得する側も設定する側も「なぜ専門医制度をつくるのか?」を理解している必要がある。

 私が最初に取得したのは米国神経内科専門医だった。この専門医はそれこそレジデンシーをした「みんながとるから」とる資格であったので、受験する理由を深く考えることはなかった。が、この試験は本当に大変だった。まず、受験資格が米国のレジデンシーを正式に修了した、もしくは翌年に修了見込みの者だけに限られる。これはレジデンシー開始時に専門医認定組織に名前を登録するところから始まり、修了までちゃんと追跡される。また、学会認定施設でのみトレーニングが認められている。学会認定施設といっても誰かえらい人が一筆したためた書類提出やら、ちょっとした視察で済むような生易しいものではない。ローテートするべき分野や習得する手技が事細かに指定されていることはもちろんだが、カンファを週何回以上行うこと、評価用紙を毎回ファイルしておくことなどまで指定される。昨今ではレジデントの労働時間まで細かく指定してきており、当直後は昼前までに速やかに帰宅せねばならない。そして、週80時間以上の勤務は禁止されるようになった。この数字は週に2回以上当直をすると軽々と越えてしまう数字である。(このレジデントの労働時間に関しては別の機会に語りたい。)そして数年に一回レジデントの聞き込みを含めた視察があるがこれがまた徹底している。認定組織の改善指示に従わない場合は認定施設の取り消しが冗談ではなく行われる。ある有名施設が見せしめに施設認定取り消し寸前になり全米のプログラムを震撼させたことは記憶に新しい。前に医師のconflict of interestの所でも述べたが、この国でシステムの変更が行われるとき「まあまあそうは言っても建前でしょ?」と思っているとひどい目にあう。

 このような認定組織が超強気でいられるのには、哲学的な裏付けがかかせない。それは「トレイニー(レジデントやフェロー)の教育の質を管理することは患者の利益を守ることにつながる」という大義名分である。認定組織のお金ももとはといえば、納税者の税金や保険の掛け金から回りまわって出ているわけで、出資者の利益にならなければいけない。あたり前といえばそうなのだが、アメリカの社会では制度改革のとき、こういう正論を真っ向から振りかざして大ナタでぶったぎっていく。その際に、末端の人間までが判で押したように同じ正論をのたまう。多民族国家での正論というものは、改善していく時の唯一のよりどころなのである。

 さて、米国神経内科専門医を私が受験したときは、筆記と面接の二つに分かれていて各々相当な労力を必要とした。そして受験料も半端ではなく、約1500ドルずつ合計3000ドル近くかかった。その後、私は神経生理フェローシップをしたので神経生理専門医を受験する資格が発生した。そしてその後、睡眠に興味をもち睡眠診療もしていたので、睡眠専門医制度開始時の特別措置により受験資格が発生した。これらはどれもこれも受験料が1500ドルかかるので、「とったら何かいいことがあるの?」と家内に聞かれて答えに窮した。これらの資格は決して「みんながとる」資格ではなく、自分の専門知識を証明する色合いが強い。医局を飛び出して、好き放題している私としては自分の専門知識を証明する資格はすべてとっておかないと就職に困るという強迫観念が常にあるので「とらない」という選択肢はなかったので取ることにした。

 というわけで私もあまりよく考えずに米国睡眠専門医をとったわけであるが、そのあとの米国睡眠医学会はしたたかな行動に出てきた。まず、専門医制度開始にともなう特別措置を2011年で最終とし正式な睡眠医学フェローシップを修了しない受験を認めなくなった。これには、いろんな職種の人間がかかわるMultidiciplinaryな面を持つ睡眠医学にとって発展を妨げるものだという根強い反対意見があったが、あっさりと却下された。この背景に見えることは、米国睡眠医学会がトレーニングを管理することで専門医の質を管理するという意図が見える。フェローシップというトレーニング制度を整え、受け皿を作ってから移行したので大義名分が立ちやすい。こういう合理的な手法は見習う必要があるだろう。そしてそのあとに、さらに驚くべき策略に出てきた。「専門医をなぜとるのか?」という基本的な問い答えをつきつけてきたのである。それはメディカルディレクターという制度を利用した巧妙な方法だった。
 
 メディカルディレクターとは何か?語感はなんとなく偉そうな感じがするが、それ以上のことはこの言葉からは伝わってこない。もちろん睡眠医学以外にも存在するのだが、大体の意味は「施設長」ということになる。ICUにもいるし、検査ラボにもメディカルディレクターが存在する。日本の病院にも検査室にはどこかの部長の医師が兼任で責任者となっているが、あれである。

 睡眠検査施設におけるメディカルディレクターの役割は重大である。かつアメリカに特徴的なことだが、責任あるところコストが発生する。メディカルディレクター料というものが存在し、いざというとき詰め腹を切らされる代わりに月々のお手当てが(給料の他に)もらえることになっている。なんとも、フェアというか資本主義な考え方である。このメディカルディレクターになるために睡眠専門医資格が必要であるという制度を作ったのである。それもメディケアという公的保険機関を動かし、睡眠専門医がメディカルディレクターになっている検査施設にだけ検査料を支払うようにした。ほかの私的保険も追随するので無視するわけにはいかず、今や睡眠専門医試験の駆け込み受験が増えている。資本主義社会の仕組みを変えるにはお金の流れを変えないとうまくいかないということを如実に表しており、興味深い。

 このメディカルディレクターの業務は一言でいうとQAである。QA=Quality assuranceという言葉は民間企業ではうるさいほど聞かれる言葉であるが、最近医療界にも入ってきて鬱陶しい思いをされた医師も多いかと思う。特に睡眠検査施設のような検査部門では避けて通るわけにはいかない。で、睡眠検査施設のQAとは具体的になにかというと、スコアリングの質の管理である。すべてのスコアリングをやり直すわけにはいかないので、一か月に一回ランダムに抽出したPSGを技師と医師が別々にスコアリングして比較検討するわけである。これをinterscorer reliabilityという。時間もかかるうえに、お互いの力量が明らかになるためかなり精神的な負担になる。が、実際にやってみると技師とのコミュニケーションになる上にお互いが緊張感をもって仕事をする雰囲気が出来る。人間の心とは弱いもので、同じことを繰り返していると「慣れ」るが「馴れ」も生じてくる。それを未然に防ぐのがQAである。そして当然、メディカルディレクターになるには睡眠検査のスコアリングができなければならない(そして私はこれになりたくて仕方がない)。米国睡眠医学会はかようにして睡眠専門医制度を使って、睡眠医学の質を教育と診療報酬の二面からコントロールしようとしている。それが「患者の利益を守るために必要」だからである。正論と根回しがうまく融合した制度を作り上げていると思う。

 一方、日本では正論を煙たがる傾向があり、根回しでなんとなく既成事実を積み上げていくような手法をとる場合が多い。国が変われば手法が変わるのは致し方がないが、寝技ばかりに執心して正論を忘れてしまうと、組織全体が変な方向に進んでしまう。リーダーシップをとる人は、煙たがられようと正論を常にのべることができなければならない。以前トヨタの人事の人にちらっと「リーダーに必要な資質ってなんですか?」という質問をぶつけたことがあったが、返ってきた答えは「旗を振り続けられる人」ということだった。私はその時別の答えを持っていたので釈然としなかったが、学会などに関わるとその意味がよくわかる。「旗」を「正論」と置き換えればわかりやすい。

 専門医制度において、その背景となる哲学が共通理解の上に成り立っているかどうかはその専門分野が発展するかどうかと直結している。たかが専門医制度というなかれ。専門医制度からはその学会の哲学が見えてくる。臨床医学の学会の第一義とは「患者の利益を守る」ことである。さもないと、社会から存在を許されない。そしてそのための第二義として教育、臨床、研究の発展が必要なのである。教育、臨床、研究は「患者の利益を守る」ために必要なのだという正論を常にもっていなければならない。いろんな人がいろんなモチベーションで睡眠医学にかかわればいいと思う。しかし、確固たる哲学のない分野の発展はありえない。新興の分野に関わる人間として心したいものである。

第7回 ボランティアと寄付とconflict of interest (「利益相反」)



           テキサス州ヒューストン メソジスト病院 
              神経内科神経生理部門 河合 真

 日米差と一言にいってもいろいろあるし、日本生まれ日本育ちの私がアメリカの社会の中で臨床をするのだからある程度の妥協はいたし方がない。しかし、「これはきっと一生完全に理解できないのだろうなあ」と思うことがいくつかある。その一つが米国人のお金に対する感覚である。
 最近は、結構米国に臨床研修で留学する医師も増えて、情報が日本に入るようになったので私が話すことは決して初めて聞くことではないかもしれない。が、医学生に一番人気の科が「眼科」「皮膚科」「放射線科」であり、その理由が「楽で、高給だから」とおおっぴらに言える社会はやはり日本の社会とは違うと言わざるを得ない。(眼科、皮膚科、放射線科のみなさん、お仕事御苦労さまです。他意はありませんのであしからず。)
 これにもまして、驚くのがボランティア精神である。donationと呼ばれる寄付もその一環としてついてくる。あれほどお金にうるさい米国人がボランティアと名がついた途端に敬虔なクリスチャンの心を取り戻すわけでもないのだろうが、無給で突然いろいろ仕事をしてくれる。現地の小学校に息子が通っており、日本のPTAに相当するPTO(parent teacher organization)というものがある。クラス委員に始まり、役員なんか「絶対勘弁してほしい」と思っている私と家内は、「どうか委員の役が回ってきませんように」といつも祈るような気持ちでいるが、まったく問題なくボランティアでやってくれる人が出てくれる。これは、ほぼすべてのクラスでそういうことらしい。日本だと、なかなかなり手がなくて最終的にくじ引きになることが多いが、まったくそういうことにはならない。(ちなみに日本語補習校では、クラス委員は最初からくじ引きで今年は見事私が引き当ててしまった。)

 そして、さらに驚くことが、寄付である。本当に様々な寄付を頼まれる。公立小学校が、寄付を堂々と募集する。別に歳末助け合いとかではなく、「私達の学校をよくしましょう」ということを目標にして寄付を募る。そのお金でコンピューターを購入したり、いい教師を引きとめたり、プレハブを建てたりしている。だから、公立小学校でもお金持ちの多い地域の小学校は施設がよかったりする。
 医療の世界でも寄付は多い。私の勤務するメソジスト病院も様々な病棟があるが、病棟毎にAlkekとかDunnとかという名前がついている。これはAlkekさん、Dunnさんというお金持ちが多額の寄付をしてくれたおかげでそのビルを建てることができ、記念にその人の名前を冠したからである。近くにあるMD Anderson Cancer Centerというほぼ世界一のがんセンターがあるが、その名前も寄付してくれたAndersonさんの名前を冠しているのである。
 聞いたところによると、アメリカ人たちはお金持ちになろうと懸命な努力をするが、最終的には、自分や家族に十分なお金を残したうえで、その他を社会に還元するというのが人生の成功者ということらしい。持てる者が寄付することは「善」とされている。日本の金持ちの方たちは、いったい今の医療崩壊をどう思っているのだろう?目に見えるような寄付をしているようには見えない。(もちろん陰で寄付している人もいるのだろうが。)

 さて、レジデント生活があまりにも長く貧乏性が身についてしまった私は、多少の寄付を小学校にするものの、時間がないことをいいことにボランティアからは逃げられるだけ逃げていた。ところが、ある日「米国てんかん財団」という組織から「夏の患者キャンプ」に医師として付添ボランティアをお願いできないかという話が回ってきた。「知りあいになれば患者が増えるから」と上司から説明されたので、せっかくの休みだが、上司が金曜の夜、私が土曜の夜を受け持つことで折り合いをつけた。

 米国においてはカブスカウト、ボーイスカウト、ガールスカウトのようにキャンプで共同生活をさせて、独立と協調の精神を養おうとすることが非常に盛んである。このてんかんキャンプに参加している患者さんの多くは、家族の援助でなんとか自立した生活が送れる程度の障害がある方たちで、共同生活を通じて独立した生活を送る訓練と自信をつけさせるということがキャンプの目標である。
 というわけで崇高な理想を掲げるキャンプを手伝うのは悪いことではないと私も考えた。が、まあキャンプとはいえども、さすがに医師をテントに泊まらせることはあるまいし、最低限個室はあるものだと思っていた。が、その私の甘い期待は完全に裏切られた。前の夜に付き添いを終えた上司から「枕と毛布を持って行け」と電話がかかってきた時から、いやな予感がし始めた。当日現地のキャンプ場に向かったところ、いやな予感が当り上記のようなキャビン(小屋)に参加者の患者さんもスタッフも入り混じって泊まるということが判明した。一応男女別々のキャビンになっていて、私は男子キャビンに泊まることになった。子供のとき以来の二段ベッドで、下の段は取られてしまっていたので上段が割り当てられた。キャンプなので、枕も毛布も備え付けではなかった。そして、男子キャビンは若い血気盛んな患者さんたちの下ネタのジョークや替え歌で彩られることになった。昔は大好きだった下ネタに乗っていけなかった私は、「ああ、自分も年とったなあ」と感慨にふけった。

 ただ、ここで2つの大きなことを学んだ。医師としてつきそったのだが、ほとんどの場合は、ちょっとしたけががほとんどだった。しかし、3人ほどてんかん発作を起こした患者さんがいた。発作後に「ああ、いつもの発作」と言い放つ患者さんをみて「病気とともに生きる」ということは外来や入院中に患者さんを見るだけではわからないのだと実感した。そして、その夜、派手ないびきと無呼吸を起こす患者さんが3人ほどいた。かなり長い無呼吸を繰り返していたので、気になって目がさえてしまった。「なるほど家族が無呼吸の患者さんを心配して連れてくるわけだ。」と変なことで納得した。神経内科疾患に合併する睡眠時無呼吸症候群を目の当たりにし、「この無呼吸を治療したらきっとてんかん発作の数も減るだろうなあ。」と考えた。「陽圧呼吸器でこれが治ることを最初に観察した医師達は感動しただろうなあ。」と思い、「これが中枢性だったらどうしたらいいのかなあ」とも考えた。そんなことを考えつつまんじりもできずに夜が明けた。おかげで睡眠剥奪の感覚まで体験させてもらえ「ああ、これば前頭葉の働いてない状態か。」などと考える余裕はなく、へとへとになりつつキャンプを終えた。
 技師さんがアテンドしてくれるPSGはありがたいとも思ったし、睡眠を観察するということはやはり面白いと感じた。また、アメリカのボランティアが楽じゃないことも身にしみてわかった。
 さて、これらのボランティアや寄付は善意をもとに行われているものであり、文化的な違いというだけで大きな問題はない。しかし、昨今医師として避けて通れなくなったお金の問題としてconflict of interest (COI)という問題がある。日本では「利益相反」と翻訳されており、学会などで耳にすることが多くなった。定義としては、「意志のあるなしに関係なく人が自己の必要と欲望によりこの人に頼るべき権利を有する他人への義務違反を侵すに至る恐れのある立場にあること。」ということである。ここで重要なことは「意思のあるなしに関係なく」という部分で、悪意なく自分の意見にバイアスがかかってしまうことが問題になる。早い話が、製薬会社や業者からお金をもらっている医師はその旨公表しなさいということである。その情報を見て消費者である患者が自己責任で判断してください、というおまけまでついてきている。
 「まあまあそうは言っても、建前でしょ?」というなかれ。最近、大手の製薬会社だけだが、その情報を公開するようになった。http://www.propublica.org/topic/dollars-for-doctors/というサイトで医師個人の名前と州を入力すると、その医師がどこの会社からどれほどのお金を得ているかが一目でわかるようになった。サイト内に以下のような入力する場所があり、日本の学会に特別講演などで招待される臨床研究者や医師名を入力してみるといろいろ出てくる。

 これには勉強会、研究会での講演の謝礼、研究グラントなど製薬会社から医師へのお金のすべてが含まれる。「ちょっとやりすぎじゃないか。」と思う方も多いだろうが、学会などでも製薬会社からの資金援助を受けている医師が歯切れの悪い答弁をすることはよく目撃されるし、公開した方がやはり良いのだと思う。製薬会社にしてみれば、公開することで、消費者に判断の責任を負ってもらえるということらしい。これもアメリカ流と言ってしまえばそうなのだが、多国籍企業が多い製薬業界でこの風潮が日本に波及するのも時間の問題ではないかと思う。睡眠医学の分野ももちろん例外ではない。在宅呼吸療法の機器業者との付き合い、製薬会社とのつきあいは避けては通れないが、いずれすべて公開されると思って付き合っていくのがよいだろう。

 今の時代、学会としてもこういう企業との付き合いは必要なのだが、単に資金が入るか入らないかで一喜一憂していてはいけない。そういう資金をバッファーとして受け止め、個人のバイアスが限りなく小さい議論の場を提供することが、「勉強会」や「研究会」とは異なる学会の存在意義なのだと思う。まあ、その際もCOIの公表はしなくてはならない。

 今後海外から招聘された講師の話を聞くときには、どれほどのCOIを抱えているかを、患者さんも知りうる情報なのだから、調べる必要があるかもしれない。なんとなく「うわっ、そんなにもらっているのか?」と嫉妬の気持ちがわくので、いい趣味とはいえないが。

第6回 マーケティングと市民講座考



           テキサス州ヒューストン メソジスト病院 
              神経内科神経生理部門 河合 真

マーケティングと市民講座考 ~宣伝とそれが招く結果について~

 現在私が勤務しているメソジスト病院は民間病院である。民間病院であるがゆえに、マーケティングや宣伝には相当な力を入れている。

 毎年US News and Reportという全国紙に出る各科ランキングで私の所属する神経内科部門は2009-2010年で全米13位(⇒参照)であった。また、Fortuneという経済紙のBest Companies to work forという一般の会社もいれた働きやすい職場ランキングで全米17位にランキングされた。(⇒参照)ここで知ったことだが、何と従業員1万人を超え、年間売上が18億3900万ドルの売り上げだそうだ。(1ドル100円で円換算すると1839億円!)1000床規模の病院であるので大きな病院であることは確かだが、にわかに信じがたい数字である。

 これらのランキングは勝手に雑誌がやってくれるわけではなく、どうやら相当な宣伝や交渉をしているようである。もちろん病院にはマーケティング部が存在し、マスコミ担当、自社発行誌担当、ウェブ担当などにそれぞれ人員が配置されている。「何としてもランキングをもっと上げないと」ということを実際に言うマーケティング担当者がいる。「別にランキングのために働いているわけではない」と時々“のり”についていけないことがあるが、本気で頑張っているマーケティング担当者の人がいるので黙っている。黙っているだけで済んでいればいいのだが、時々このマーケティングに否応なくかかわることがある。

 私が赴任したときも、「マーケティングの写真撮影があります」といわれて「たかが写真撮影だろう」と思って指定された場所にいくと、プロの写真屋のみならず、プロのメイクの人が待ち構えていて私の顔をいろいろといじった後、いろんなポーズを取らされ撮影された。何に使うのかと聞くと、「あら、いっぱいよ。パンフレット、ウェブサイト、発行誌などなどよ。あなたを売り出さないと!」という答えが返ってきた。医師という職業上あまり一般の人に顔をさらしたくないと思っていたのだが、そんな思いとはまったくお構いなしに進行していった。

 さらには、インタビューをするといって「マスコミ担当」のやり手そうなお姉さんがやってきて「興味のある分野は?」「ふーん、てんかんと睡眠ね?」「てんかんはあまり一般うけしないけど、睡眠はうけるのよねえ、テレビ、ラジオ、新聞にも出やすいのよ。」と話がすすみ、あわてた私が「いやあ、私は新聞とかラジオとかテレビは経験ないしちょっと、、(と京都出身者としては断ったつもり)」というと「あら、大丈夫よ。新聞とかテレビにでることになったらちゃんとマスコミ対策喋り方トレーニングしてあげる」と言われた。

 いまのところマスコミからの取材申し込みはないのだが、彼女は「やり手」らしく、いつ私の日本語なまりの英語を一般に公開しなければならない事態になるかもしれないと戦々恐々としている。

 日本の病院でも広報担当者がいるとは思うが、こんなマーケティング部門を持つ病院は聞いたことがない。今でこそランキング本が出回ったりしているが、日本では患者さんが病院を選ぶ基準は、いまだに評判、紹介などであると思う。大半の病院で医師の数も足りておらず患者が殺到されても困るので、医師が「もっと患者に来てほしい」と思っている場合はあまりない。

 以前にも書いたが、ここテキサスメディカルセンターでは医師があふれかえっている。テキサス州のみならず、近隣の州からも患者が殺到するが、それを軽くこなすだけの医師が勤務している。睡眠の分野も競争が相当激しい。総合内科医達へ患者を紹介してもらえるように挨拶まわりをするなど、日本では経験したことのないことを数々行った。

 また、一般向けの宣伝も相当なお金がかかっている。ラジオCMやテレビCMを流すことはざらである。変わったところでは、「睡眠時無呼吸症候群で日中の眠気がある患者さんはきっとコーヒーショップに来るに違いない」というわけで、近隣のスターバックスで新規患者の獲得を狙って臨時眠気相談所を開設するということを行った。たしかに、そこまでやるか?と思うが、受け皿が大きいので全く問題にならない。患者を獲得すればそれだけ収入が増え、予算の配分も増え、人員も増え、発言力も増して、病院での地位も向上するというのが米国の病院におけるサクセスモデルなのである。

 さて、一般の方向けの宣伝として今日本でも睡眠に関する市民講座が結構開催されている。効果のほどは定かではないが、ある程度受け皿となる睡眠クリニックがあった睡眠時無呼吸症候群(OSAS)ではそれほど問題も生じなかった。OSASでは睡眠ポリグラフ検査(PSG)で客観的に診断ができることも混乱をを最小にした理由なのだと思う。持続陽圧呼吸療法機器(CPAP)の指導管理料で採算がとれることも大きかった。

 しかしRestless legs syndrome (RLS)(「むずむず脚症候群」と日本では呼ばれているが、ICDの正式の日本語訳は下肢静止不能症候群となっている)では状況が異なる。RLSのように患者さんの主観的な訴えが診断基準で、客観的な診断方法がなく、ゴールドスタンダードが「エキスパートによる診察」という疾患では注意が必要である。Mimics(よく似たものという意味の英語)と呼ばれる、RLSと同じ症状を訴えるが、実はまったく異なる疾患の患者さんが混じってくる。RLS mimicsには、身体表現性障害や末梢神経障害といったその鑑別が睡眠専門医でも困難なものがあり、さらに丁寧な病歴聴取が必要になる。米国睡眠関係学会連合集会や世界睡眠医学会でもRLS mimicsは大いに問題になっていた。そもそも、このような主観的な症状だけの疾患が脚光を浴びたのは、不定愁訴として片づけられていたこれらの患者さん達の中にドパミン作動薬で効果がある患者さんたちがいることが分かってきたためである。そのためにドパミン作動薬を作っていた製薬会社がこぞって宣伝に資金を投入し始めたという背景がある。

 既存の薬が別の疾患に効果があるとわかって適応が広がること自体は、医学の世界ではよくある。しかし、実は診断がとても難しい上に治療も難渋することがある疾患に関する市民講座を、受け皿が全然足りていないような地域で行うことは相当大きな問題を引き起こす。もともとRLSは診断にも時間がかかり、客観的検査もないので説明にも時間がかかる疾患である。そういった患者さんが殺到すれば、日本の保険制度上必ずそのクリニックは赤字になる。それでも、別に訪れる患者さんに罪があるわけではないので良心のある睡眠専門医は頑張ろうとして疲弊する。逆にそういった事情を知らされていない患者さんからは、「なぜもっと診てくれないのか」と不満をもたれることにもつながり、まっとうな医師-患者関係の形成の妨げにもなる。

 また、経済的にペイしないような疾患の診療体制を急に大きく広げるようなことは不可能である。その上、医師の技術料や専門性による差が診察料に反映されない日本では、RLSの患者がどんどん増えてもこの診療担当医は赤字を出し続けているという判断を病院側はするであろう。これは製薬会社のマーケティング戦略の根本的な誤りである。まず、受け皿となるべき医師の教育を何よりも優先すべきであろう。「困った時には睡眠専門医へ」といってもその睡眠専門医が全然足りていないのだからお話にならない。といって製薬会社を批判するのは簡単だが、我々睡眠専門医としても彼らにきちんとしたマーケティングをさせるようにコントロールする義務があったと思う。そこが、日本の睡眠医学が未熟であるといわれても致し方ない部分である。

 もちろん集会の自由が認められた民主国家なので市民講座を開くのは自由である。が、そもそも市民講座を開く理由やメリットはなんだろうか?いろいろ考えられるが、例えば「疾患に対する差別などの誤った認識をただす。」「感染症(HIVなど)で予防法を広く知らしめる必要がある」「比較的罹患率の高い疾患で、放置すると危険で、治療法が確立していて医師の教育が済んでいるが、一般の人たちの認知が進んでいない」場合などがあると考える。RLSの場合はどれにもあまり当てはまっていなかった。

 好むと好まないに関わらず、経済活動と医療は密接に関係がある。少なくとも「自分がこのマーケティングを行ったら(もしくは加担したら)どういう結果になるのか」を想像し、取捨選択することが求められている。この病院でさんざんマーケティングに加担させられたが、流されるまま自分の加担したマーケティングが変な結果を招かないようにと祈るのみである。



US News and world report誌のウェブサイト上で神経内科、脳外科部門。おなじみの病院がトップ3を占めている。その中でメソジスト病院は13位にランキングされた。だからといって何かが変わるわけでもないが、肉食系な人たちにとってはこのランキングを徐々に上げていくという作業は結構モチベーションが上がる作業のようだ。面白いのは発行誌も是非このランキングを宣伝に使ってくださいと書いていることである。まさに相乗効果を狙っているのであろう。


フォーチュンという経済誌での働きやすい会社ランキング。結構聞いたことのある会社に混じって自分の病院が載っているのは不思議だが、医療がビジネスとして認められているという証ともいえる。

第5回 睡眠医学とコスト



           テキサス州ヒューストン メソジスト病院 
              神経内科神経生理部門 河合 真

簡易検査とコスト

 私が2006年まで合計6年間の米国での臨床研修を終えて日本に戻り睡眠医療に携わった時、違和感を感じたことがある。
それは簡易検査(米国で言うところのcardiorespiratory monitoringである)をPSGの前に行わなければいけないという制度である。その根拠は「まずはスクリーニングをして疑わしい場合にのみPSGを行う」という一見理にかなった論理である。

 しかし、この論理には問題がある。まず、簡易検査が「簡易」なのは基本的に「脳波解析をしない」から簡易なのであって、そのなかには様々なグレードがある。酸素飽和度だけを測るもの、呼吸も一緒に図れるものなど様々なグレードがある。が、基本的に脳波解析をしないので「眠っているかどうか」はわからない。

 たとえば、簡易検査を8時間装着していたとしても、実際には4時間しか眠っていなければどうなるだろうか。呼吸イベントが検査中100回あったとすると、実際に眠ったのは4時間なので本来ならばRDIは25になるものが、8時間で割られるのでRDIは12.5になる。脳波が記録されないので「眠っているかどうかわからない」という大きな問題があるのに、なぜ簡易検査というものが存在し続けるのか。それは、当たり前のことだが、「脳波解析をしない」ので「簡易」だからである。

 ではなぜ脳波がないのであろうか。脳波測定にはほかのパラメターとは異なる側面がある。

 まず、単位がマイクロボルトであり、非常に小さくなる。そのためさまざまなアーチファクトが入り込む。また、電極が外れやすいということもある。そういった場合に直す検査技師が必要になる。あと、脳波には異常から正常までさまざまなパターンがあり一朝一夕にはマスターできないという難しさがある。というわけで「省いてしまえ」というのが簡易のアイデアなのである。

 利点としては、脳波解析ができる医師や睡眠検査技師がいなくてもいいことや、機械が小さく持ち運べて自宅で検査ができるので特別な施設を病院につくらなくてもいい、コストが安いなどがある。で、本題だがその簡易検査をして異常と出た人だけにPSGをすることが果たして理にかなっているのかということである。この臨床の質問に答えるには以下のような質問の形に変換する必要がある。

 すなわち、簡易検査で「PSGをせずに済んで」直接CPAP治療(この場合オートCPAPになる)に入ることで節約できるコストが、簡易検査をしたところ、よくわからない結果が出て結局PSGをやらなくてはならなくなり、簡易検査で余計にかかってしまったコストのどちらが多いかということになる。このコスト解析には当然その国の保険行政における簡易検査の値段とPSGの値段が大きくかかわってくる。そして米国では「簡易検査ではコストの削減ができない」という結論になった。簡易検査をすることで余計にかかるコストの方が大きくなったわけである。この結論が出たのが、2005-2006年にかけてなので、それ以降大手を振ってPSGを行えるようになったわけである。日本の場合はどうだったのであろうか。

 おそらく、コスト解析のことはわかった上で、PSGが実施できる施設が少ない現状をすぐには改善できず、簡易検査をある程度認めていかざるをえない状況だったのだと思われる。睡眠時無呼吸症候群をCPAPで治療することをいかに早く浸透させるかということを優先させたわけである。しかし現在ある程度PSGができる環境になってくると、この簡易検査をPSGの前に行うという無駄に見える制度だけが残ったわけである。

普及時期と拡大路線

 睡眠医学を人に紹介するときに、睡眠時無呼吸症候群なしでは語れない。多くの場合「いかにコモンな疾患であるか」を強調するために疫学データをみせ、「いかに無治療で放置することが危険か」を生存曲線のデータをみせて説明する。ある新たな疾患の周知を進める場合によくとられる方法で、あながち間違ってもいない。

 そして、この手法でCPAP治療を浸透させ、多くの分野の医師の参入を促した。その際に多少の簡易検査の矛盾などに目をつぶり拡大路線をとったわけである。米国でも多くの分野の医師の参入を促し、拡大路線であったことは同じである。そして、米国では現在大きな転換期を迎えている。

そして哲学

 で、ここからが大きな問題になってくる。拡大路線を続けた後、「どうするか」という理念があるのかないのかということである。
「臨床」が、かかわる医師と技師の数、マーケットの規模ともに大規模な拡大を遂げた現在、これらを正常な姿にするにはどうすればいいのか。「理想の睡眠医学とはどうあるべきか」という哲学があるのかどうかということである。ここで、重要になってくるのが、「研究」と「教育」とのバランスである。

 そして、これらが発展するためには「臨床」「研究」「教育」の中核になる共通語になるべきものが必要である。睡眠医学の場合それは明らかに、誰がなんと言おうとPSGである。PSGなしでは睡眠という現象は観察できない。なにしろ長い年月をかけて睡眠を定義してきたのは脳波を含むPSGなのである。PSGなしに睡眠を研究することも不可能であれば、睡眠を教育することも不可能である。想像してほしい。「眠っているかどうか」わからないのにどうやって「これは睡眠の現象だ」「いや違う」などと議論ができるであろうか。

 たしかに、簡易検査でも重症の睡眠時無呼吸症候群であればある程度の確率で診断ができ、治療を開始することは可能かもしれない。が、その考えは浅はかである。そうやって、簡易検査がPSGに取って代わるような動きを推進すればするほど、睡眠医学が共通語を失うということを理解しなければならない。

そして「厳しい」睡眠愛

 そう「PSGを大切にしなければならない」のである。PSGを大切にする方法には二通りあると思っている。

 一つはPSGを採算のとれる検査にすることである。現在の睡眠医学はCPAP指導管理料に依存しているが、やはりこれはおかしい。このために「できるだけ検査のコストを抑えてCPAPを処方する」方向にフィードバックがかかるようになっている。PSGで採算がとれるようになれば、PSGのできる睡眠センターも増えていくと考えられ、簡易検査をするかしないかなどというつまらない議論に時間を割かれることもなくなる。

 もう一つはPSGの質の管理である。施設数だけ増えても正しくPSGを実施し、スコアリングができなければ意味がない。残念ながら、「PSGができる」というのは機器を購入して検査技師を雇ってスコアリングをさせていればいい(確かにこれだけでも大変なことではある)というものではない。質の管理は睡眠専門医と技師が馴れ合うことなく批判しあうことでしか管理できない。ここにおいては睡眠を愛すれば故の「厳しさ」が必要になってくる。

 そして、今後睡眠専門医という資格をどう「厳しく」考えるかが非常に睡眠医学の発展に重要になってくる。睡眠専門医とはCPAPを処方する医師のことではない。ここが米国において大きく変化しているところである。実は米国でも最初受験資格を大幅に緩和するなど、非常に「易しい」方針をとった。

 しかし、昨今American Academy of Sleep Medicine(米国睡眠医学会)は「厳しさ」の方に方向転換してきている。いや、もともと青写真が最初からあったようだ。最近は「メディカルディレクター」という資格概念を使って巧みに質のコントロールしようとしている。このことは次回に詳しく述べたいと思う。結論としては睡眠医学に携わるのであれば、睡眠医学を愛さねばならず、睡眠医学を愛するためにはPSGを大切にしなければならないということである。簡易検査のコスト解析なんてつまらないことはやめて、睡眠を語ろう。そして、厳しく睡眠を愛そう。

 ヒューストンでは毎年3月に“RODEO”といって牧畜文化を紹介するイベントが催される。シーズンオフのプロフットボール場とその巨大な駐車場、隣接する見本市すべてが“RODEO”一色に染まる。見物に出かける人たちもカウボーイハットをかぶり、バンダナを巻いて出かける。


RODEOだけでなく、周りには移動遊園地がやってきて、やたらと盛り上がっている。


RODEO関係の店が並び、カウボーイグッズが手に入る。


ターキーの足の照り焼きがあったり、


カウボーイハットを売っていたり、


牛の競り市をやっていたりする。
じゃあ、肝心の暴れ牛に乗ったり、暴れ馬に乗ったりするのはないのか?というと、それは別料金を支払ってプロフットボール会場に入らないといけない。これを見ないでもまずまず楽しいのだが、、、やはりRODEOなのだから、


暴れ馬乗りやら、(生は迫力満点!)


馬から飛び降りて子牛を捕まえる競技(!)を見ないことには「RODEOを見た!」とは言えないわけである。少々強引だが、睡眠も周辺だけをみて満足するのではなく、習得に時間やお金がかかってもコアのPSGを学ばないといけないということと共通点がなきにしもあらずということで載せてみた。

第4回 無知である罪
~不眠を甘く見ず、恐れない~



           テキサス州ヒューストン メソジスト病院 
              神経内科神経生理部門 河合 真

 私は今アメリカで勤務しているが、よくアメリカ人が私の名前が呼びにくいのでニックネームで呼んでいいか聞いてくる。ある時までは気にもとめず許可していたが、最近は丁重にお断りするようにしている。

 私の名前は「まこと」なのでよくあるパターンは「Mack」とか「Mac」とかになる。一昔、鈴木誠というピッチャーがMLBで「マック鈴木」と名乗っていたことを思い出していただければいいだろう。私もあるときまでたった3音の「ま・こ・と」を省略したがる無精者に対して「仕方がない。マックで呼びたければ呼んでいいよ」と言っていた。ところがある日友人が(彼はまったく問題なく「まこと」と呼んでくれている。)ふざけて「まことのことをMackって呼ぼうか?いやあ、冗談冗談。Mackって柄じゃないよな。」と言ってきた。なんのことかよくわからない私は説明を求めたところ、馬鹿でかいトラックを作っている会社にMACKという会社があり、どうもMackという名前からは「ひげを蓄えた逞しい白人のトラックドライバー」というイメージがわいてくるらしい。あまりにも自分とかけ離れたイメージに「知らないということは恐ろしい。」と思い「言葉の持つイメージ」には気をつけねばならないと思い知った。

 さて、みなさんは「不眠」とか「不眠症」という言葉にどのようなイメージを持っているだろうか?聞いたとたん「厄介そうだな」とか「うわあ、時間かかるよ~」とか「睡眠薬出すしかないやろ」ということを思われる医師が多いのではないだろうか。私も米国で睡眠医学を学ぶまではそのようなイメージで考えていた。しかし、指導医の睡眠専門医が鮮やかに不眠症を「睡眠薬を使わずに」治癒させたのを見てまったくもって目から鱗がおちた。(その患者さんは精神生理性不眠だった。)それから、不眠症をきちんと勉強したわけである。勉強すればするほど奥が深いというのが今の私の印象である。

 睡眠薬で不眠が治療できるだろうか? 確かに効果があることに異論がある医師は少ないと思う。実際、自分で試してみても睡眠薬を服用すると眠たくなるし、 寝てしまう。抗ヒスタミン薬程度でも眠くなる。では、睡眠薬で不眠を「治癒」させた経験はあるだろうか?私にはない。治癒した患者さんはいたが、それは「勝手に治癒した」か、原因がはっきりした「もともと一時的なもの」であることがほとんどだ。

 例えばよくある症例を紹介しよう。30歳代の女性、特に既往はない。仕事も順調にしているが、数年前離婚をしたことをきっかけに不眠に悩むようになった。離婚に関してはすでに「済んだこと」として割り切っているし、特に気分が落ち込んだりもしていない。ただ、どうしても寝つきが悪く、ベッドにごろごろしながらうつらうつら4時間程度浅い眠りが続き、早朝に目が覚めてしまう。最近では「夜になるのがいやだ」「また眠れなかったらどうしよう」「ベッドに横になるのがつらい」などと訴え、寝室にいるのが苦痛になってきている。今まで、睡眠薬を何種類か試したが、最初は効果があるものの、しばらくすると効果がなくなり、翌朝倦怠感が残るのでできれば睡眠薬には頼りたくないと述べる。

 この例に対して「診断」しなさいというと、大抵の研修医達は「不眠症です。」と答えてくる。そこで「じゃあ不眠症の中でどの種類の不眠症か?」と聞くと得意そうに「入眠困難と早朝覚醒です。」と答えてくる。「なんじゃそれは?」とつっこむと不服そうな顔をしている。悲しいことに、製薬会社の説明会でそれと同じ説明を受けたとき情報の出所がわかった。ちなみにICSD-2にはそんな病名は載っていない。それは「症状の説明」である。

 この場合、不眠症という診断名は間違いではないのだが、症状を説明している一時的な診断に過ぎない。「頭痛症」とか「腰痛症」に近い感覚である。これをさらに病歴を掘り下げて「精神生理性不眠症」、「精神疾患に起因する不眠症」、「環境要因に起因する不眠症」と診断をつけてはじめて治療方針が立つわけである。不眠の訴えは、「慨日リズム障害」だったり「睡眠時無呼吸症候群」の症状だったりすることもあるので「診断をつける」という作業は重要である。そして、この診断をつける作業がなされていないまま、睡眠薬が処方されていることが実に多い。

 さて、前述の女性をあなたならどう治療するだろう? さらに最新の睡眠薬を処方するだろうか? いや、まずは診断をつけなくてはならない。少し勉強された方ならばすぐにわかるが、これは典型的な精神生理性不眠症の病歴であり、診断をつけることはそれほど難しくない。さて、精神生理性不眠症の第一選択の治療法は何であろうか? 睡眠薬? いやいや、これは製薬会社がなんと言おうとも認知行動療法である。時に「非薬物療法も選択肢のひとつ」というような扱いを受けることもあるが、違う。「第一選択」は「第一選択」なのである。効果の持続性、副作用のどれをとっても認知行動療法が睡眠薬に勝っていることは証明されている。では、なぜ認知行動療法がこれほどまでに知られていないのだろうか?それは「時間がかかる」うえに、料金が日本ではチャージできないからである。だから、説明会もないし、誰もやりたがらないわけである。

 認知行動療法とはなんだ?と思う方もおられるだろうから少しだけ説明する。結局のところ脳に「眠気」を思い出させるように行動を指導することである。刺激制限療法、睡眠制限療法、逆説的努力というものから構成されている。大体20-40分程度はかかる。効果がでるには50分以上必要というデータもある。ただし、一回ですべてを説明してしまう必要はなく、少しずつ説明していっても効果がある。専門の心理療法士がやらなくても一般の医師がやっても効果があったとのデータがある。ただし、やはり実施経験のある医師に一度は指導を受けないとさすがに無理なので勉強会があれば是非参加してみてほしい。(当然その勉強会に協賛はつかない、、、。つけば拍手を贈りたい。)

 私のクリニックは未だに十分過ぎる時間があるため、前述の患者さんには私自ら懇切丁寧に認知行動療法を説明し治療を行ったところ2ヶ月程度で「治癒」してしまい、また患者が減ってしまった。
 「入院患者で不眠を訴えた場合は睡眠薬しかないでしょう?」という医師もおられると思う。確かに、夜中にコールされてナースから「何か睡眠薬処方してください。」といわれて「いや、認知行動療法を!」なんて言ったら次の飲み会からはお誘いがかからなくなること必至である。  そのときに重要なことは唯一つ。「どうして眠れないの?」と聞くことである。「枕がかわって眠れない」のか「腹が痛くて眠れない」のか「心不全で呼吸が苦しくて眠れない」のか「気分が落ち込んで自殺もしたくて、自分を責める考えばかりが浮かんで眠れない」のか「いびきのせいで目が覚める」のかで、対応が全く異なる。これらの不眠の訴えはすべて異なる診断になるので一度診断をつけてみてほしい。どれにだったら睡眠薬を処方してよいかは診断をつければ大体判明する。
1つ目は「環境要因に起因する不眠症」、2つ目と3つ目は「器質的疾患に起因する不眠症」、4つ目は「精神疾患に起因する不眠症」になる。5つ目は「睡眠時無呼吸症候群」で不眠を訴えたとしても不眠症ではない。

 睡眠薬はFix what is broken!(原因を治療すること)が不可能な場合の「対症療法」として「一時的に」処方するのがよい。この場合、1つ目は入院という環境を変えることは退院させるしかないが、それは不可能であるので睡眠薬で対症療法とすることが許されると考えられる。2つ目、3つ目は原因をなんとかすることを考えないといけない。4つ目は、やはり鬱の治療をしないといけない。不眠だけ治療してもどうにもならない。抗不安作用のあるベンゾ系の睡眠薬を処方することが多いが、これはやはり専門の精神科医に早めにコンサルトし生兵法は避けたほうが身のためである。5つ目は、まあ解説の必要はないだろう。睡眠薬を処方すると症状はさらに悪化し危険である。

 日米を問わず一般の医師の不眠症に対する認識は低い。なにしろ睡眠について、医学部できちんと教えていない(少なくとも私には記憶がない。)のだから仕方がない部分もあるが、その結果として製薬会社から与えられた知識と情報で診療が行われてしまう土壌になっている。

 睡眠にかかわる医師として、不眠症に関する正しい情報を発信しようと努力しているが、なかなか難しい。このエッセイが「不眠症」を学ぶきっかけになり、認識を少しでも改めていただければ幸いである。


MACKと聞くとこんなトラックが思い浮かぶらしい。私を知っている人にはわかるだろうが、私はこういうイメージの人間ではない。私の大学入学当時の医学部長が「無知は罪である。」とおっしゃったが、なんとか一つずつ罪を減らしていかないといけないと思う今日この頃である。

第2回 「私がなかなか睡眠外来をやらせてもらえない」理由



           テキサス州ヒューストン メソジスト病院 
              神経内科神経生理部門 河合 真

 SLEEP MEDICINEと聞いて最初に想像することは何でしょう?
 私がベイラー医科大学で神経内科レジデントをしていたとき、「神経内科だったらSLEEP MEDICINEも選べるよ」と同僚のレジデントと話したことがありました。それが、確かSLEEP MEDICINEが私の側頭葉に記憶された最初の瞬間でした。
 レジデント終了後の進路を話していたときでもあったので、一瞬神経内科のさらなる自分の専門分野として考えました。そのときは、その1秒後に前頭葉によって却下されました。理由は「SLEEP MEDICINEというからには、週に何回も夜中におきて検査をしなければならないに決まっている。そんな睡眠をろくに取れなさそうな分野では、やっていけないに決まっている。」という論理でした。後にこれは私のおおいなる無知による誤解であったことが判明します。
 ただ、その時期は内科と神経内科で散々病院内当直をこなしていた時期で、夜間に自分がしでかしたお粗末な失敗の数々で自信喪失気味でしたので、DEFENCE MECHANISMが作動して早々に却下したことも無理はありませんでした。後に立花直子先生と話をしてみて過去の日本の終夜睡眠ポリグラフ検査 (PSG) というのは、私が恐れていたとおりの状況で医師が起きて監視をしていたとのことを聞き、あながち私の想像も間違いではなかったと知りました。
 さて、実際の米国におけるPSGはどうやっているかといいますと、技師監視のもと行われて、医師は自宅待機で寝ているという状況です。もちろん、何か起きれば連絡がきて起こされるわけですが、大抵の問題は技師が解決してしまいます。(この技師と医師の関係に関してはまた、後日述べたいと思います。)
 ですから数年前まで米国で「私の専門はSLEEP MEDICINEです。」というと「いい生活で、いい収入に違いない。うらやましい。」という反応がありました。
 その結果、多くの医師が「睡眠診ます」と標榜し、にわか「睡眠医師」が急速に増えました。
 現在のヒューストンでは米国睡眠医学会 (AASM) 認可、非認可の睡眠クリニックはあわせて300程度あると言われています。ですから今では、「競争が激しそう。軌道にのったらいいけどね。」という反応が返ってきます。非認可といっても質を学会が保証していないというだけで、違法ではありませんし、医師免許をもった医師が行っており、保険会社、機関から医療費を支払ってもらっているわけです。米国睡眠医学会もなんとか睡眠ラボの質を維持しようとして、睡眠ラボの認可や睡眠専門医制度を利用しているのですが、まだ分野として成熟していないために徹底されていません。米国睡眠医学会では、にわか「睡眠医師」たちも教育して取り込もうと思った模様で、受験資格を大幅に緩和しました。ただし、実際に私も受験した感想としては、かなり難しい試験でした。
合格率73%と低めであったのは、質だけは保証しなければならないと考えた米国睡眠医学会の矜持であったのだろうと思っています。
 さて、この300施設という数字をどう考えるかです。クリニックの90%以上の患者はOSAS(閉塞性睡眠時無呼吸症候群)ですので、OSASの罹患率を元に考えます。大体日本でも米国でも成人の5%程度だと言われています。ヒューストン市の人口が400万人で、ほぼ70%が成人ですので、280万人中の5%がOSASと考えますと、14万人が罹患している計算になります。睡眠ラボが300あったとしても1施設あたり466人の患者がやってくることになります。外来で診れば、3ヶ月に1回診察したとしても1日7-8人はやってくる計算です。1人あたりの医療費の単価が高い米国では十分生計が成り立つわけです。
 ところが、現在では「過当競争だ!」といわれています。理由は、いろいろあると思います。まず、米国ではPSGは理由なく繰り返せませんので、常に新患患者を獲得していかないと睡眠外来は成り立っても、睡眠ラボが成り立ちません。
 また、別の理由としては疫学データの落とし穴があります。罹患率5%といっても実際に「日中の眠気」などの症状があって「医者にかかりたい」と思う患者さんのデータではありません。日本においても、私が勤務していた東海地方で、昨年来の急速な景気悪化で新規の睡眠検査の数が減少するという事態に遭遇しました。「お金がないから、ちょっと睡眠のことは後回しにしよう」と思った患者さんがいたわけです。それと同時にリストラされたにもかかわらず、「お金はないけど、CPAPがないと就職活動にもならないから通い続ける!」といっていた患者さんもいました。ですから、日本も今は睡眠ラボの絶対数が少なく需要が供給を上回っていると思われますが、いつ何時逆転しているかわかりません。疫学データというものは本当に注意して考える必要があります。昨今名前も変わり、話題になっているレストレスレッグズ症候群も、おそらく疫学上の罹患率と実際に臨床上問題になり治療対象になる患者の数にかなりの差がある印象ですので、慎重に考える必要がある点は同じでしょう。
 そうそう、これが第1回に私が話した「私がなかなか睡眠外来をやらせてもらえない」理由なのです。なにしろ競争が激しいのです。でも、先月から曲がりなりにも睡眠外来もスタートさせてもらえました。まさに、ビジネスの世界でいうところの「過当競争のマーケットに無謀にも新規参入した」という状況です。ですから1人の患者さんも決して逃すまいとしています。こんな気分で外来をやることは日本ではあまりなかった経験です。患者があふれかえっていて、十分な時間が取れない睡眠外来はこちらでは羨望の的です。

 みなさんの地域ではどうですか?


ショッピングモールの一角にある睡眠ラボ。まったく医療とは関係のない普通のモールにもこのように開業している。また、ホテルの部屋を借りて開業することもよくある。立地条件がいい反面、遮音、遮光が徹底できるかが問題になる。

第1回 Introduction

■ヒューストン便り    ~米国臨床睡眠医学の現場から~

           テキサス州ヒューストン メソジスト病院 
               神経内科神経生理部門 河合 真

 みなさん初めまして。
このような機会をもらって、米国の睡眠医学の事情を紹介することになりました。私が本当に適任かどうかはわかりませんし、私が紹介できるのはあくまでも私の勤務しているところでの話ですので、全米に当てはまらないことも多いことを承知してください。

 さて、まず自分の紹介です。
私は1997年に京都大学を卒業して、日本と米国で神経内科レジデントをして、2005年から神経生理フェローをベイラー医科大学で行ったときに睡眠医学にはまりました。アメリカでトレーニングをうけましたので、米国のテキサス州の開業免許があり、神経内科専門医と睡眠専門医の資格があります。というわけで、私がやっているのは睡眠の研究ではなく、臨床です。
 しかし、ある事情があって現在「睡眠クリニック」そのものはやっていません。どちらかというともうひとつの専門である「てんかん」のクリニックがメインで、たまに睡眠の問題のある患者さんも混じってくるという状態です。なぜ、専門医資格まであるのにこういう状態か、ということはおいおい説明したいと思います。

 医療を語る上でどこで行うかということは非常に重要なことですから、ヒューストンという町の紹介をしましょう。
 テキサス州という米国南部に位置する巨大な州(日本より大きいです。フランスよりも大きいです。)の最大の都市で人口400万です。コンチネンタル航空のハブ空港があり、東京から直行便があります。これは本当に助かります。

 そしてこの町には総病床数1万超と言われているテキサスメディカルセンターがあります。
 医科大学2つ、病院は13箇所も集まっており、「なぜそんなに集めたのか?」という疑問がわきますが、患者さんにとっては必ず専門医がこのエリアに行けばいるので便利は便利です。アメリカの田舎はめちゃくちゃに田舎ですし、半端に分散するより集めてしまったほうが効率がいいことは確かです。
 その中のひとつが私の勤務するメソジスト病院です。病床数は1000程度ですのでかなり大きな病院です。この病院では契約により睡眠医療は私の属している神経内科の神経生理部門以外は行わないということになっています。
 睡眠医療をどこの部門がイニシアチブをとって行うかということはその病院によって随分異なります。どれがいいとか、悪いとかは、、、実はあると思いますが、仕方ない部分もあります。ただし、やはりその睡眠医療の方向付けとしては、「睡眠という現象そのものに興味をもつ」ということでなくてはなりません。
 睡眠ラボはベッド数10で、検査技師が8名勤務しています。いろいろな変遷があった結果数年前にこの形でスタートすることになり月間検査件数は100-120程度です。
 この睡眠ラボの特徴としては、筋萎縮性側策硬化症(ALS)の患者さん達の睡眠検査を数多く行っているということです。これはひとえにChairmanであるDr. Stanley H. AppelがALSの権威なので、非常に多くのALSの患者さんが集まってくるためです。ALSは不治の病として知られていますが、睡眠を陽圧呼吸器で改善することで予後が改善します(もちろん最後には人工呼吸器装着か、さもなくば亡くなってしまいますが、それまでの期間を延長することがわかっています。)
 月に一回ALSの専門外来があり、そこで睡眠チームの一員としてフォローアップをしたり、新規の睡眠検査をオーダーしたりすることも行っています。そこで、陽圧呼吸器で日中の眠気などの症状が改善していることを目の当たりにするにつれ、まだまだ睡眠医療にできることが多いと改めて実感します。もちろん、睡眠検査を病院内で行わなければならなかったり、普段は睡眠技師対患者が1対2の比率で検査するものを1対1にしなければならなかったり、ベッドがファンシーなものでなく病院ベッドでギャッジアップできるものにしたりと特別な配慮が必要であり、おいそれと手を出せるものではないことは確かです。ただし、なかなか「劇的改善!」ということを実感できない疾患の多い神経内科領域ではきわめて新鮮です。
 ここでも、眠気のあまりない患者さんは持続率が悪く、「眠気」が「改善」しないと陽圧呼吸器を使用してくれないことが実感されます。

 このような睡眠のスパイスをちりばめられた神経生理三昧の日々を送っています。ここは楽園では決してありませんが、日本での睡眠医療が進むべき道のヒントがいろいろとさりげなくあるような気がします。

 皆様の日常診療に少しでも役立てればと思いますが、そうでなければ、マイペースな神経内科医がアメリカでどうやって生き残ろうとしているか気軽に読んで楽しんでいただければと思います。

 次回以降、ここヒューストンでの事情をいろいろ伝えていければと思っています。


【外から見たメソジスト病院:1919年創立でかなり歴史は古く、Dr. Michael E. DeBakeyという血管外科医が頚動脈の内膜剥離術を始めて行ったことで有名、うしろの白っぽい建物の9階に私のオフィスがありそこでこの原稿を書いています】


【メソジスト病院 玄関ロビー:噴水がありゴージャスな雰囲気】


【ホテルか?と思いますが、睡眠検査用ベッドです。】


【コントロールルームは別に変わりないです。】


【睡眠外来も行う神経内科外来受付。贅沢にスペースをつかっている。】


【神経内科外来待合室。これまた贅沢】


【月一回のALS外来の風景。患者さん達の同意のもと撮影されました。このように待合室で患者さん達が待っている間に、問診をして睡眠の問題がないか聞いて回ります。】

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